書くことは考えること
と、無意識に思っていたので、今まで文章を書くことに抵抗があったのかもしれない。
最近そこに気づいたおかげで、毎日文章を書いて世に出すことができている。…のだと思う。
2020年以降、人と会う回数が減り、家から出ないようになった。その中で増えるのは自分との対話。SNSを通して見る友人達へのヘイトや、自分の名誉がファッションの一部に捉えられるヘイト。
そんな日常でたどり着いたのが「諦念」という考え方。
「諦める」というと、どちらかと言えばマイナスな言葉として捉えられるだろう。しかし、「諦念」は、私にとってはポジティブな言葉に思えた。
てい‐ねん【諦念】 の解説
1 道理をさとる心。真理を諦観する心。
2 あきらめの気持ち。
例えば、このご時世に、ガイドラインに則って感染防止対策をきちんと行なってライブに参戦すること、万が一のことを考えて泣く泣く参戦を見送ること。
真反対の行動ではあるが、いろんな目線から見ると、どちらも正しいのだと言わざるをえないだろう。
自分の考えがあるように、他者にも考えがあり、それはいろんな観点から見たら間違いではない。(基本的には)
私が他者を理解できないように、私も他者から理解されない存在なのだ。
あなたがそう考えて行動するのであれば、いいんじゃない?私はこう思うから、その考えを肯定はできないけれど、それを他者に押し付ける必要はない。逆も然り。謂れはない。
かといって、分かり合えないことを悲しむのでなく、違う考え方を知り、それぞれの考えを認めあう。
これが私なりの、他者に対しての、ポジティブな諦め。諦念の心なのである。
諦念することが多くなった中で、「書くことは考えること」という考えに出会い、世界が変わった。 世界…というと大袈裟ではあるのだが、一つ苦手が克服されたという意味で、広く大きく捉えていきたい。
「書く」にあたって題材を「考える」
「書く」にあたって起承転結を「考える」
「書く」にあたって言葉を「考える」
「書く」にあたって接続詞を「考える」
話すことも考えることでは?と思ったが、友人などと日常で話す時、上記を考えながら話したことは、私はない。
考えながら伝えたいことを話したりもするけれど、何回も読み返して、ここは話が繋がらない、ここはこっちの言葉に変えよう、なんて、思考回路を巡らせて話せるわけでも、ない。
紙、もしくは画面上で文字を連ねることができるからこそ、考えられるのだ。
今までは、短い文でも読んで違和感のないものを作らねばならない、つまり、考えて文章を書かなければいけないという行為にずっと苦手意識を抱いていた。…ということを最近認識。
しかし、「私の苦手意識が考えることなのであれば、考えすぎなくてもいいんじゃない?私は、プロでもないんだし。」という考えにマインドチェンジできたおかげで、こうして、文章を書くことが楽しいという気持ちになれているのだ。それは、「諦念」というポジティブな諦めに出会えたから。
「考える」。それを「まとめる」。それってやろうと思える人ならきっと誰にでもできる。難しく考えすぎずもう少しライトに向きあったっていいんじゃん!という考え。
だからこうして、苦手だとずっと言ってきた文章を連日で書き、noteにまとめることができている。そしてなにより、書くのが楽しいという新しい自分に出会えたのだ。
もちろん、苦手だからずっとこのままで良いというわけではない。苦手を認めたうえで、今出来るものをうみだす。そこから学び、少しずつ成長していきたいな、というのが今の抱負である。
しかし、そもそも論だが、こうやって連日文章を発信できている一番の理由は、noteというプラットフォームに出会えたことである。比較的容易に、自分の考えを世界に発信できるnoteはとてもありがたい存在なのだ。
これからもBTS、BE:FIRSTを中心に感想など楽しく書きながら、自分の心のうちを吐露していきたい。
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