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象徴や神話は本当の姿ではないことについて

夜見る夢は、知覚したものを、地上の中で1番近いものに当てはめてイメージ化している、というのは夢探索を日々やっている人たちには、当たり前のこととして受け入れられていますね。夢で、恒星の中で人を見ても、実際に恒星に人がいるわけではないし、人型の生命体がいるわけでもないわけです。

そして、恒星の神話も、地球から見たものであり、地球を離れると全く違うものであるというのも、松村潔先生の話ではよく聞きます。

しかし取っ掛かりとしては、神話や、変換された地上イメージが役立つことも事実で、私は今のところ、その手掛かりに対して満足していて、さらにその先へという欲求はありませんでした。なぜならこれより先は、異質なものをそのまま理解するという高度なことだからです。

松村潔先生の『サビアンシンボルでアカシックリーディングする』シリーズでも、ここ暫くは地球から見た神話イメージに対する不自然さについて、そこまでガッツリとは述べられていませんでした。

しかし『サビアンシンボルでアカシックリーディングする(19)』では、そのことに対して強く語られていて、とうとう来たなという感じです。

恒星を神話的に説明するというのも、これは精神分析や心理分析の範疇に取り込むことであり、心の壁の内部にある。これは心理的なものなので、バカの壁というよりも、バカの気持ちの壁と言ったほうがいいのか。

これに伴い、私も"地上イメージ"や、"地球と結び付けて成り立つ神話"ではない夢を、1度くらいは見てみたいなと思ったので、そういう思いを込めて夢見してみました。
結果としては、やはりイメージ化された夢を見ましたが、なかなか面白いものでした。

80年代のアメリカの白いオープンカーに、アメリカ人男女が乗っていました。松村先生が、その車の運転席のドアを蹴っていました。
アメリカ人がちょっと怒ったら、先生は車輪のように側転し始めました。

考察

四角い車は地球の中、地球視点を表していると言っても良いと思います。4という数字、四角く囲ったところは、そこでの4元素世界が成り立ち、安定しています。
車は白いので、純化されているように見えますが、しかし乗っているのはコテコテのアメリカ人で、本人たちは普通だと思っているけど、外から見れば、「ザ・アメリカン」な特徴があり、田舎っぽい感じもします。
松村先生はその車を蹴っていて、つまりどんなに白く見えても、それは地球的ローカル性だと言っています。
松村先生は側転をしますが、足が上になるのは、根拠を天に持てと言っているようでもあり、また逆立ちではなく側転ですから、あちこちの恒星に足を置くことを意味しているようにも見えます。地球からの視点ではなく、恒星からの視点をという事でしょう。

この夢を踏まえて、私も地球から見た視点ではない夢を見ることができるようになりたいと、少し思い始めました。
普段、象徴や恒星の神話は本来のものとは大きく違うことを、重々承知の上で夢見をしていても、そこの居心地の良さに甘んじてしまっているのなら、成長は止まってしまうのだと思いました。

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