見出し画像

#27.クメール語とその似ても似つかない兄弟

だって、動詞も人称変化や時制で変わらないし、名詞も格に合わせて変化もしない。声調がある言語でもない。文字とか修飾語の順番とか日本語と違うけれど、全体の優しさを考えればそんなことは些細な問題だ。でも、これだけ語族の視点からみると多様性に溢れた言語も珍しいのではないか。

クメール語とはいわゆるカンボジア語のこと。カンボジアの言葉である。カンボジアの言語なんて、名前を聞いただけでは全くイメージがつかない。でも、教科書を開いてみるだけで、自分の言語観が揺さぶられるということは往々にしてあるわけで、それが何よりの楽しみなわけだ。

で、教科書を見てみる。

①名詞は変化しない(楽ちんだね!)
②動詞も変化しない(簡単だね!)
③単語は並べるだけ(そのぶん、語順が重要だ!)
④複雑な声調もない(素晴らしい!)
⑤クメール文字を使う(まあこれくらいはしょうがない)
⑥カンボジアと移民先の国のカンボジア人のコミュニティーで使用(使う機会は多分ないだろうなぁ...)

このように⑤、⑥を除き、クメール語は簡単さの塊みたいな言語のように思える。となると言語オタクは「文法が簡単な言語は大抵、何か難しい特徴があるはずだ」と疑ってしまい、いろいろ調べざるをえなくなる。好奇心は罪だ。

というのも、文法がシンプルな言語ほど何か顕著に発達した特徴があることが多い。例えば中国語は声調が発達し、それが単語を切り分ける大きな要素となっている。そしてそれが学習者に壁となって立ち塞がる。中国の諸言語の中には声調が十種類あるとされる言葉もあるらしい。そんなのやってられない。

今まで紹介した言語の中で言うと、インドネシア語の特徴が比較的クメール語に似ている。文字こそ違うが、文法の簡素さには通じるものがある。

動詞は変化せず、名詞も変化しないし、声調もない。ただし、動詞に接尾辞や接頭辞がくっついて意味を拡張させる特徴を有している。修飾する順番も同じだ。

一方、似ているということでベトナム語も思い出した。動詞や名詞が変化しないし、基本的に単語の並び方で単語の関係性を表す。修飾する単語の並び方も後ろから修飾する点はクメール語と同じだ。

ただし、ベトナム語はクメール語やインドネシア語より漢語の影響を受けており、漢語だとはっきりわかる借用語がある。ベトナム語はアルファベットを使う言葉だが、"Ngôn ngữ học(言語学)"のように日本語と同じような漢語に由来する単語を使っている。

そういう特徴を考えると、クメール語はベトナム語やインドネシア語に近く、中国語とは少し遠い類似性を示すように思われる。

スクリーンショット 2020-11-22 17.21.59

このようにみるとベトナム語は境界的で、漢語文化圏と東南アジアのサンスクリット語圏の言語の特徴を折半しているように思える。しかし、他のクメール語とインドネシア語に比べ漢語の影響が幾分か強い。一方で、クメール語からみるとベトナム語とも似ているし、インドネシア語とも特徴が似通っている。

ただし、このような言葉の特徴から「仲間だ!」と言い切れないのが言語学だ。例えば単語を比べてみると「わたし」という単語を見てみると、クメール語が「kʰŋom」、ベトナム語が「tôi」、インドネシア語が「saya」となり、どれも一見あまり似ていない。

数字の「1」はどうだろうと思い、調べてみるとクメール語が「muoy」、ベトナム語が「một」、インドネシア語が「satu」。あれ、少しクメール語とベトナム語が近くなったように思える。

改めてクメール語とベトナム語「1」、「2」、「3「」を比べてみてみる:

スクリーンショット 2020-11-22 18.00.55

このように多少異なるものの、同じ概念を示すとわかれば、数字は非常によく似ていることがわかる。インドネシア語も念のために見てみると、"satu","du","tiga"となる。クメール語と比べてインドネシア語の数詞は面影さえもない。

私もあまり関心がなかったので改めて驚いた。ベトナム語とクメール語は兄弟関係にあるらしい。京都外国語大学の説明によると:

ベトナム語はオーストロアジア語族(モン・クメール語族)に属するものと考えられ、公用語の地位にある近縁の言語はカンボジアのクメール語である。しかし、隣接するタイ語や中国語との接触による種々の影響を見ることもできる。その代表的な現象が声調という音の高低・上下で意味を弁別するシステムである。(1)

従って、

①クメール語とベトナム語の関連性は証明されていると考えられる。
②ベトナム語が声調を持つのは周辺の言語からの影響による。

クメール語の近縁関係を調べると、上記のような面白いことがわかったのは貴重な体験だった。特に②については新しい情報で以前、オーストロアジア語族について『ヴェトナム語』の記事で言及したが、それについては話がなかったと思う。

クメール語まわりを調べてみて、いろいろと印象に残ったことがある。例えば歴史の因果なのか、隣り合わせの兄弟言語をしゃべる民族は往々にして戦争しているということが印象に残る。カンボジアとベトナムも七十年代に戦争をしている。

とはいえ、ベトナム人はカンボジアの日常生活に避け込んでいるようだ。『現代カンボジア短編集』ではベトナム人について言及する箇所がいくつかある。クン・ルスンの『学校』でベトナム人がバインミーらしきサンドイッチを売っていたり、ソット・ポーリンの『ひとづきあい』では魚売りをしていたりと労働者がカンボジア社会に出稼ぎに来ていることが窺える。良い意味でも、悪い身でもベトナム人とクメール人の関係は文学の中で、日常的なテキストとして切り取られるくらいに日常的な光景になっているのではないだろうか。

一方でベトナム語とクメール語の関係性について国内で研究されている書籍が見当たらなかったことだ。例えばこの種類の書籍は白水社さんがよく出版しているように思えるが、白水社さんだけでなく、語学・言語学の出版物でモン・クメール語族という広い視点でベトナム語とクメール語を眺めるものは出ていない。需要が多分、ないからだと思うが。

しかしながら、この二言語の関係は面白い。なぜかって、影響を受けた文明が違うことによる語彙の多様さ、声調のありなしなど兄弟言語と思えないくらい似通っていないのに、比較言語学の手法を使ってようやく「兄弟言語なんだ」とわかるからだ。それは国が違う人の血液検査をおこなってみたところ、兄弟だったということがわかるようなものだ。アガサ・クリスティーや京極夏彦だったらもっと凝った演出にするだろうか。

もっと広くクメール語の話が知られればいいのにと思いつつ、今回はここで筆を擱くことにする。

(1)京都外国語大学 https://kccfl.kufs.ac.jp/asia/html/vietnam1.html

資料や書籍の購入費に使います。海外から取り寄せたりします。そしてそこから読者の皆さんが活用できる情報をアウトプットします!