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ご近所コードスイッチング〜関西生活からの語学〜

「知らぬ間に関西語と関東語のクレオール語をしゃべるようになっているかもしれない」──こんなことを考える自粛生活が続いています。

近畿にきて一ヶ月近くなろうとしていますが、元々暮らしていた関東では気づかなかった言語現象が確認でき、語学・言語学的には心弾む日々を送れています。一番気になっているのはコードスイッチングと呼ばれる現象です。

コードスイッチングとは直訳すると「言語の切り替え」のこと。複数の言語を交互にしゃべること。あるいは複数の言語を部分的に混ぜて使用する現象のことです。

例えば、英語に不慣れな年配の人が英語で無理やり外国人と会話しようとして、「You are from Americaじゃない?("「あなたはアメリカ人じゃないですか?」の意味で")」「But, でも私は、ほらfrom Japanだからね」のように英語と日本語をちゃんぽんするときがありますが、これも複言語社会の現象の一つといえるでしょう。

身近な例で私が京都のある会社に電話したときのこと。電話のオペレーターさんは最初、私の受け答えに対しては標準語で返答します。ですが、私が途中で「関西弁」風のアクセントや「〜はる」助動詞を多用するなどの言い回しを使い始めると、電話のオペレーターさんも徐々に関西弁に切り替わっていく、ということが見られました。

私が明らかな違いを目撃したのは「ありがとうございます」という一言。

おそらく友達同士の50歳代の女性二人がおしゃべりをしていたところ、一人が駅で降りました。彼女はそれまで仮に一人をAさんとして、そのAさんが「ほんまにこのまま(コロナで)どないなってしまうんやろな」などと関西弁で話していました。

しかし、駅で降りたときAさんは向き直って、「それでは今日はありがとうざいま⁊した」と平坦な標準のアクセントでもう一人のBさんに挨拶しました。それでBが「お気をつけて!」というとAさんは「ありがとうございます⁊」と語尾に力点を置いた関西の調子で返事をしていました。

はてな、アクセントを変えた理由はなんでしょうか?

標準語のアクセントが関西弁と共存した理由は、まず①「AさんがBさんから心理的に若干距離を取るために、フォーマルなスピーチを使用した」。次に②「なんとなく使用してしまった」の二つかと考えます。

どちらにしても複数の言葉が共存する社会の現象といえるでしょう。①はまずダイグロシアを象徴する現象です。つまり、複数の言語を使用する領域や役割によって、使い分けている、ということになります。②は前提として、二つの言語的な背景がないと「なんとなく」であっても成立しない現象ですね。

これが語彙の交換という現象になってくると聴覚的にも視覚的にも印象が変わってきます。

下記は小笠原混合言語の例です。ダニエル・ロング著の 『小笠原諸島の混合言語の歴史と構造
──日本元来の多文化共生社会で起きた言語接触──』に対する永田高志先生の書評では同著の次のような例文が取り上げられています(2020/5/5閲覧):

Typhoon のとき、three days ぐらい雨が降って、me らの house の中は water が up to the knee だったよ。クォー!そして this is on the heel of that tsunami ね。...So we’ve been veterans of natural disasters だじゃ。

でも、関東弁と関西弁をそれぞれ異なる言語とみなした場合、アクセントが違うだけとはいえ、小笠原混合言語と似たようなことを近畿では日常的に行なっていると言えます。

ただ、関東弁と関西弁は同種の言語で文法も酷似していることから、単なるコードスイッチングかそれともピジン化の兆しなのか判別するのは無理なのでは。

しかしながら、以前紹介したカーボヴェルデのクレオール語やアフリカーンス語のように複数の言語が混じった状況下では言語の簡略化やピジン・クレオール化が発生するという事例は確認されています。

実際、関西弁には標準語にはない限定的な範囲で母音調和と思われる現象があったり、「はる」助動詞の活用があったりと関東弁よりも特徴が多いと考えています。そのため、関東弁は複数の異なる「日本語」が接触した結果、文法が簡略化された言語という考え方が出てきます。

それが正しい推測なのかはわかりませんが、自粛が解除された後に調査のため、閉館している図書館にいりびたろうかと考えています。

それじゃ、おおきに!

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