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#31 クロアチア語とかなんとか語とか考えずに楽しめばいい

どうしよう、クロアチアとひたすらに関わったことない人生を送っている。

実はクロアチア語と意識して勉強したこともなければ、クロアチア人とも会ったことがない。というのも、クロアチア人と会ったことがないという点は別として、私の中ではクロアチア語もセルビア語もユーゴスラビアの「セルボ・クロアチア語」というイメージから脱却できていないからだ(それはそれで時代錯誤なので失礼な気もする)。

しかしながら、私は子供の時に、ユーゴスラビアの典型的な形容詞「七つの国境、六つの共和国、五つの民族、四つの言語、三つの宗教、二つの文字、一つの国家」は子供の頃、やや赤っぽい社会(地理だったかも)の先生に教え込まれたため、なんとなくユーゴスラビアに懐かしさを持っている。そのため、『アンダーグラウンド』を見た時は、ユーゴスラビアを生きて、当時を懐かしむ観客とは違う視点でユーゴスラビアの頭の中の思い出に浸ったものである。

ところで、クロアチア語単独で教材が手に入るようになってきたのは割と最近だと思う。クロアチア語に特化した教科書は邦文なら一九九七年の三谷恵子先生による『クロアチア語ハンドブック』しかない。その後、同著者による『クロアチア語常用6000語』が一年後に出版された。『旅するクロアチア語』なんて二〇一九年でごく最近だ。

しかし、旅行にフォーカスした語学書が出るということは、ジブリの『魔女の宅急便』の街のモデルになったとされるドブロブニク以外にも、クロアチアが日本から注目されるようになってきたということではないだろうか。

確かにユーゴスラビアに多党制が導入された一九九〇年以前以後では旧ユーゴスラビア地域の情勢はまるっきり変わってしまった。何より一九九一年から続々と新しい国家がユーゴスラビアから独立していき、テレビでもユーゴスラビア内戦の様子が日本でも報道されていた。目まぐるしく変わる情勢の中で、なかなかクロアチアだけに着目するのは難しかろう。

複数の標準語

しかしながら、クロアチア語の教科書が出版されづらいのは別に理由があると思っている。それは是が非でもセルビア語やクロアチア語をあえて分けて出版する理由が私たちの国にはないからではないかと思っている。というのも、これらの言語は差異が微妙で、同じ旧ユーゴのスロベニア語とマケドニア語のように明瞭に異なった言語であると文法的特徴から断言することに躊躇いがあり、誤解を恐れずに言えば方言の関係と言い切ってしまる程度の差しかない。もしかするとクロアチア語とセルビア語の違いは大阪と東京の言葉よりも小さいかもしれない。

ではなぜ別の言語として扱われているのだろうか。クロアチア語とセルビア語は言語的な違いというよりも、むしろ政治的な理由から別の言語としてカウントされている。

ヴーク・カラジッチ(https://ja.wikipedia.org/wiki/ヴーク・カラジッチ#/media/ファイル:VukKaradzic.jpg)

実はクロアチア語の標準語もセルビア語の標準語も「新シト方言」という南スラブ語の方言の一つが母体となっているのだが、十九世紀になり一つの南スラブ人の国家を作るという気運が高まり、ヴーク・カラジッチという民俗学者が自分の故郷である新シト方言の一種、「東ヘルツェゴヴィナ方言」を元にセルビア語の文章語の土台を築いていった。しかしながら、政治的な対立もあり、クロアチアではカラジッチの文章語とは「多少」異なる標準語が成立していったのである。

クロアチア語の特徴

セルビア語やクロアチア語と銘打った教科書を比べてみると、素人目でも下記の三点は明らかに違うと分かるところがある。

1.語彙
2.不定法
3.音韻

語彙はセルビア語とほとんどが共通しているが、セルビア語に見られない単語がクロアチア語にある。例えば教科書で習う単語では"kruh(パン)"や"vlak(列車)"という単語がセルビア語とは異なっているという記憶がある。セルビア語で「パン」はロシア語とも共通する"hleb"で、「列車」は"voz" である。また月の名前もクロアチア語はよりスラヴ語起源に置き換えた月の名前を用いている。

不定法であるが、動詞の繋ぎ方が違う、という風に考えて頂ければ良い。例えばセルビア語ではブルガリア語やルーマニア語のようにバルカン言語らしく、動詞は人称変化させた上で"da"で接続するが、クロアチア語は英語のように直接辞書形を動詞に繋げる。例えば"Hoću piti"のように最初の動詞を人称変化させ、後続する動詞は変化させないままくっつけるのである。この点でクロアチア語は少しバルカン言語らしくないのである。

音韻は膨大すぎるので興味ある方は専門書を参照して頂きたい。わかりやすい例を挙げると、「牛乳」という単語はクロアチア語で"mlijeko"だがセルビア語では"mleko"となる。「ィエ」というか「エ」となるか、という違いが挙げられる。

もっとも厄介な点は多少異なる点があるにせよ実際のセルビア人やクロアチア人が上記のような違いに気をつけて言葉を使い分けているかというとそうでもないようなのだ。三谷は『クロアチア語ハンドブック』でクロアチア語を学ぼうとする読者に注意を促している。

個人のレベルで見れば、クロアチアに住んでいるクロアチア人が「セルビア語式」の表現を用いることも珍しくありません。また、セルビア人、クロアチア人が、ボスニア・ヘルツェゴヴィナやツルナゴーラの南スラヴ人とともに多くの言語文化を歴史的に共有してきたことも事実です。

三谷恵子『クロアチア語ハンドブック』,「はじめに」ⅲ

※クロアチア語やセルビア語にはじまる南スラブ語の言語的差異やその言語文化はその地域の共通した文化的基盤であり、一概に「これはクロアチア語、あれはセルビア語」とバッサリできるものではないらしい。

※ただし、方言な豊富なだけあって、「新シュト方言」ではなくザグレブで話される「カイ方言」のクロアチア語の紹介もネットユーザーが紹介している。興味がある人は比べてみてほしい。

※同一の言語に複数の標準語が存在するという点で、クロアチア語、セルビア語、ボスニア語などはいわゆる社会言語学という分野ではほとんど必ず名前に言及される言語の常連になっている。その度に実際話されているクロアチア語やセルビア語はどんなものなのだろうかと考えていたが、旅行の日程もあわず、クロアチア〜セルビアは迂回する形で通り過ぎ、そうこうしているうちにヨーロッパ暮らしは終わってしまい、それどころか挙げ句の果てにコロナの時代になってしまった。

安心して海外に出られる時代がまた来たら、念願の旧ユーゴの地に足を踏み入れて、本物の「クロアチア語」を聞いてみたいものだ。ただ思うのはクロアチア語だのセルビア語だのツルナゴーラ語だの考えず、この面白い言語を聞いて喋って楽しむことが一番大切なのではないか?

そんなことを思いながら教科書をパラパラ捲るのがこの種の言語の常なのである。

※参考文献

三谷恵子『クロアチア語ハンドブック』、大学書林(1997)

※・・・2022/6/8に修正・加筆した箇所になります。


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