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Polyglot Gatheringから学べたこと

この記事は下記の記事の派生物です:

よく日本人(あまり「日本人」とか全体化して話すことは好きではない)が自分の母語とは違う言語を学ぶときにこんなことありませんか。

「発音がうまくできない」

「うまく話せない」

「うまく聞き取れない」

このように自分の能力の低さが露呈するのが恥ずかしいから、勉強中の言葉を人前で用いないという選択をすることは誰にでもある経験ではないかなぁと思います。

上記のイベントについて振り返ってみると思うところは正直いろいろありますが、ポリグロットギャザリングの参加者の姿勢についてはそんな「日本人」が学べることがたくさんあると思います。

何を学べるか

言語の運用能力のトレーニング以上に学べたこととしては下記の通りです。

1.非母語話者のコミュニティーを大事にすること

2.非母語話者の話す言葉を大事に受け止めること

3.相手がネイティブであるかどうかを意識しないこと。相手を気にせず自分の能力の限界に挑むこと。

参加者の姿勢

まずポリグロットギャザリングの参加者の方々におおよそ共通する姿勢としては次のような印象を受けました:

1.非ネイティブスピーカーが積極的

ある言語を勉強中で例え会話できないようなレベルでも、練習用のビデオチャットルームに入って来ます。そして、軽く挨拶してあとはヒアリングに徹するなどコミュニケーションの輪に留まろうとしていました。

2.非母語話者に対するリスペクト

例えば日本語のビデオチャットルームで日本人のネイティブが圧倒的な権力を握ることはありませんでした。ネイティブ同様に日本語が上手い人がいるので別に日本人に頼る必要がありませんし、誰も上から日本語を「教えてあげる」という視点で会話をしていませんでした。同じ同好の士としてネイティブだろうが非ネイティブだろうが日本語を使う限り「お互いにしっかり聞く」、わからないことがあればお互いに「フォローし合う」というコミュニティーが成立していました。

ネイティブ信仰の不在

次にそのような土台が形成されていることに気づいて思ったのが、日本のような「ネイティブ信仰」がないことでした。ここまで書いたようにコミュニティーや学習者の輪は別にネイティブがいなくても成立します。

例えばメジャーではない言語の部屋では母語話者がいないことも普通でした。また、エスペラント語のビデオチャットルームではエスペラント語の特性からそもそも母語話者が存在しません。このイベントにおいて、「ある言語のチャットルームでテーマとなっている言語の母語話者がいない」ということは普通でした。

また民族や人種と結びつきを重要視していないことも普通でした。例えば国籍や人種がバラバラな話し手がチャットルームに集結してエスペラント語でおしゃべりするのは普通でしたし、私のようなアジア人がいわゆる白人だらけのアフリカーンス語のおしゃべりに割って入るのも違和感があることではありませんでした。しかも、その部屋にいた人たちは私を含め、誰も南アフリカ出身ではなかったのです。日本語の部屋でまるで日本語ネイティブのような上手な日本語をしゃべっていたのは暗い肌色のネパール人(ネワール系)で、英国人、タイ人、台湾人の方も上手な日本語をしゃべっていました。

もちろん言葉に詰まったとき一種の判断基準としてネイティブの参加者に意見を求められることはありますが、あくまでそれは指標にしかすぎません。

見かけは語学に不要

日本では特にヨーロッパの言語をいわゆる白人と結びつける考え方がものすごく強いと思います。下記は英語の例です。幼稚園でアジア人の英語のネイティブの人が英語を教えたところ、保護者から「白人以外の講師が英語を教えるのはちょっと...」とクレームが入りました。

見かけは言語にとって本質的なことではありません。それは例えば白井(2008)で言及されているルビンの研究(1992)でもあきらかです。

ルビンは大学の学部生に英語の訛り具合の評価をさせ、それが講義の理解度とどのように関連するかという実験をしました。音声は同じものを使いましたが、一つのグループには白人女性の写真を見せました。もう一つのグループには中国人女性の写真を見せました。その結果、中国人女性の写真を見せられたグループはより英語が訛っていると判断した上に講義の理解度もより劣っているというデータが採取されたのでした(1)。

見かけという視覚的条件は意識にフィルターをかけ、言語の音声的な本質を変質させてしまうことがわかります。何語を勉強するにしても余計な色眼鏡は取っ払って、純粋に語学に向き合うことの方が重要なことなのではないでしょうか。ポリグロットたちとの交流はそのようなことを示唆する出会いだと考えます。

参考文献

(1)白井 恭弘『外国語学習の科学-第二言語習得論とは何か』(2008) 岩波書店No.840/3478 18%


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