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これってただの浮気心?それとも複数愛?

最近友人とのメールのやりとりの中で、考えた事があったのでシェアしたい。

彼女は自分がポリアモリーだと(ほぼ)気付いているけど、カミングアウトするデメリットの方がメリットよりも大きいから
旦那さんや家族には言わないでいる。

「今現在真剣な恋愛関係を築きたい特定の人がいるわけじゃないし、旦那さんの他に魅力を感じるはただの浮気心かなと思う」

…ここで声を大にして伝えたい。
”「ただの」「浮気心」なんてものは存在しない。”
「数人に愛を与える事ができる」っていう本来のあなたが姿を表しているのに「ただの=重要ではない」って、ないがしろにして、せっかく生まれた素敵な愛の芽をなかば否定しているように聞こえる。

本命がいても、他の人に惹かれる。
これはれっきとした複数恋愛者の反応なのだから、そんな自分を可愛く観察してあげてほしい。
「あ、私ってやっぱり複数愛者なんだなあ。同時に数人に愛を与えれるんだよね。私の愛って豊かだなあ」って。
その愛の芽が育つか、育てるかは本人次第だけど、「浮気心」ってまるで悪いもの、もしくは大事じゃないもののように捉えるのは、あなたの本来の姿ーー複数愛者であるという事実ーーをあなた自身が認めていないようで、あなたに認められていない本来のあなたがかわいそう。

ちょうど、同性愛者が同性に惹かれて、
「あ、これはただの同性愛ごころだ」なんて言わないはず。「同性愛者なんだから、そりゃあ同性にときめくに決まってるよな。」と本人も周りも思うはず。

複数愛者だから、愛する人がいても 他の人にときめく。複数人に愛を与える事ができる。それが当然。変えられない。胸をはろう。ボーン・ディス・ウェイ(Born This Way)。

単数恋愛者(モノガミー)が他の人に惹かれるのは浮気心?

単数恋愛者(モノガミー)が、本命の恋人/伴侶がいるのに他に心が動くのを「浮気心」って一般的に言われる。
もし本当に単数恋愛者なら、そもそも誰に愛をあげるか迷っている時点で、その人の愛は宙ぶらりん状態になっているのかなあと思う。
「さて、私のたった一個の愛を誰にあげるとするかな?数人の候補を精査してから答えを出そう」って段階って事だから
それもそれで「浮気心」とは違うかなあと思う。
真面目な選考のプロセスというか。
結婚してても、長年付き合っていても、モノガミーの人の愛は一個しかないんだから最高の人に与えたいはず。もっと良い人がいたら過去はどうであれ、その「もっと良い人」に自分の愛を移すかどうかの選考期間を設けるのは自然かなと私は思う。

「浮気心」って言葉は差別用語?

個人的に、「浮気心」って言葉は真理のない、モノガミーがポリアモリーを意味なく悪者に仕立てる為の差別的な言葉だなあと思う。

「浮気心を抱いた」じゃなくて、「愛情を感じた」って言い方で良いじゃん。
例えば「私の旦那が秘書に浮気心を抱いた
じゃなくて、「私の旦那が秘書に愛情を感じた
後者の方が変にバイアスのかかっていない文章で、より事実に近い気がする。

もちろん、性的興味だけの場合は「愛情」ではない。それは性的興味。

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