見出し画像

あなたは私ひとりよりももっと大きな何かだから

ミヤコが僕の頭の中に侵入している

彼:ミヤコ、ミヤコに告白することがあるよ。僕、ミヤコに恋してるみたい
私:今私、泣きたい気持ち。
彼:泣いても良いよ。
私:「恋に落ちた」は、あなたにとって何を意味するの?(自分の手を自分の胸に当てて)
彼:ここで感じる。(彼の手が、彼の手を彼の胸に当てて)それから体の内側にも。それから
ミヤコが僕の頭の中に侵入している。
私:あなたが最初に言った事(ミヤコに恋している)はとってもキュートだね。それを言うためには勇気が必要だったと思う。
彼:うん、まあね
私:でも、ふたつめにあなたが言った事はちょっと怖いな。だってあなたは私ひとりよりももっと大きな何かだから。
彼:…ミヤコのそういうところが好きだよ。物事を鳥瞰的視点で捉えているところ。

ーーーーー

これは、2ヶ月ほど前の会話。
「だってあなたは私ひとりよりももっと大きな何かだから。」
これってポリアモリーの真髄を表しているような気がするから、詳しく説明したい。

多分私は、私という人間ひとりにしかなれないという事を受け入れている。そして、色々なものから学びたい、経験したいという貪欲さもあるし、相手にもそうでいて欲しい。相手には、私ひとりにとどまっているような、小さな人間でいて欲しくない
だからこそ「あなたは私/俺だけで満足しろ!他の人にも惹かれるなんて、私/俺では足りないって事?」という傲慢な事は言わない。なぜなら、自分がオファーできる限界を受け入れているからだ。世界中の全ての素晴らしいものを私ひとりが提供できるなんてこれっぽっちも思っていないし、それを悲しい事と思っていない。
…ポリアモリストはもしかしたら、モノアリスト(単数恋愛者)の想像を超えるくらい痛いくらいに現実主義で冷静に客観的に物事を捉え自分の誇大評価をせず、しかし好奇心が旺盛で、自分と他人に豊かな経験をさせることに重きを置いている人が多いんじゃないかなあと思う。

大学教授
「自分以外の教授の科目をとるな!」
と言ったら?

例えば大学やワークショップや、様々なクラスが世の中にはに沢山ある。オンラインも含めると、今や学べる教科や分野は数えきれない。あなたの学びたい教科はひとつではないだろう。
例えば5つ学びたいものを選んだら先生は5人になるだろう。その内のひとりが「他の先生から他の分野も学びたいだなんて、私/俺では足りないって事か? 私/俺のクラスだけとってろ!」と言っているのと同じ。
 自分が教授の立場だとも考えてみよう。自分の専門は限られている他の先生にもそれぞれ専門分野があって、素晴らしい経験や知識をオファーできる。あなたが生徒想いの教授なら、生徒には自由に色々学ばせてあげたいのではないか?
 
恋愛もそれと同じ。「ミヤコだけ!」ってなってる男性に会うと、「ちょっとまってね、1回一歩下がって世界を見渡そうね。色んな素晴らしい女性からも学んで欲しいんだよ。私だけから学びたいなんて、あなたはそんなに狭い生き物じゃないでしょ。」って言いたくなる。

恋愛は、愛を与える練習の場。そして自分の過去の傷に向かい合い、働きかけ、癒し、成長するきっかけになるもの。(恋人同士の幸福な瞬間の共有に加えて) 人が違えば愛の与え方や向かい合うべき過去の傷も変わる。経験する喜びも変わる。そうやって人は成長していくのじゃないかなと思う。

モノアモリストは反対するのも分かる。
でもこっそり共感しているあなたはポリアモリストかも?

ここまで読んだ人の中では、「スキルや知識を学ぶのと恋愛は違う。恋愛は一対一だから意味があるんだ。支え合って家族を一緒に作れるという絶対的な信頼をお互いに築くのが大事なんだ(怒)」という声が聞こえてきそう。落ち着いて下さい。大丈夫です。モノアモリスト(単数恋愛者)なら、そう感じるのが自然。なぜならそれが幸せの条件だから。
でも、ポリーである事をまだ自覚していないあなたはこれにもやもやしているのではないか? 単数恋愛は、今までの人生で唯一あなたがあなたに信じる事を許した宗教のような「真実」なのかも知れないが、本当にありのままのあなたが幸せを感じれるものではないかもしれない。

「絶対的な信頼」と言う割に浮気や不倫がこんなに多いのはなぜだろう。永遠の愛と言って結婚したカップルがこんなに離婚するのはなぜだろう。
現代の地球上の多くの人々は社会的にモノガミーをスタンダードとして取り入れているが、あなたが本来のあなた自身のワクワクや幸福を犠牲にしていると感じるのなら、ポリアモリーについてもっと知ってみても良いかもしれない。
子供を育てたいと考えているみなさん、沢山のポリアモリストが子供を産んで、嘘や隠し事無しでパートナーと幸せな家庭を築いている事も忘れないでほしい。 (米の都市、ポリアモリー(複数恋愛)を公的に認める
人生は一度しかない最高の学校であり、沢山の素晴らしい事を経験できるプレイ・グラウンドだと私は思っている。
私たちのポテンシャルは、もっともっと想像の範囲を超えて大きいのかも知れないと想像してもらいたい。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?