人の幸せを願い、人の不幸を悲しむこと

ハライチ岩井さんと奥森さんの結婚に対する誹謗中傷(あえてそういう言い方をします)、羽生結弦さんが離婚をしたというニュース。

年の差があるというだけで本来ならばすべてお祝いの言葉で埋め尽くされなければならないのに、
お祝いではなく素性の暴露、「キモっ」という芸人特有の嫌な"いじり"という名の誹謗中傷を行う。

この動画のコメント欄、本当に酷いです。
エコーチェンバー現象がここまで起こってるのを初めてみた。
そして赤の他人の自分がそれを目にしてとても気分が悪くなる1週間…

「なぜおめでたいことを喜べないどころか酷い言葉をぶつけられるのだろうか」とずっと考えていました。
多分酷い言葉をぶつける人はこの自分の気持ちも理解はできないんだろうけど…

そんな中、昨日Twitterでこのような言葉を見つけました。

仏語のようです。
このツイートを見た瞬間に、
自分が岩井さんの結婚で「おめでたい!」と真っ先に出てきたのは、
『人の幸せを素直に喜ぶ』ということだと理解できました。
そして誹謗中傷している人のことは無理に理解しないし律す必要もないと考えられるようになりました。
(突き放すようでアレだけど多分それが正しい)

ドラえもん「のび太の結婚前夜」で、
のび太との結婚に悩むしずかちゃんに向かってしずかちゃんのパパが、
「あの青年は、人の幸せを願い、人の不幸を悲しむことができる人だ。それが一番人間にとって大事なことだからね。」
というシーンがあります。
アニメキャラだけどのび太君は「随喜」ができる人間です。

随喜ができるということは、
人の不幸にも心を痛めることができるという意味だと自分では解釈しています。
クドクド書いたけどこれが共感ですね。

何を思って考えるかは自由だと思います。
それが人を傷つけそうな言葉だというのは口に出す前に気づきませんか?
誰も幸せにならないし、
その口と指先から出た呪詛のような言葉はいつか自分に返ってきます。

岩井さん、奥森さん本当におめでとうございます。
楽しく仲良く生活してください。

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