レールで卵を割れる駅|JR上諏訪駅
駅はその街の玄関であり、ファサードである。
簡素な駅も好きだが、溢れんばかりの愛が詰まった駅に出会うとハッとする。立ち入る前から、その街の活気や心意気を感じるからだ。
中でもJR上諏訪駅構内は、駅であることを忘れてしまう異次元空間だった。
初めてJR上諏訪駅に降り立ったのは、ある年の10月下旬。
遠に日も暮れ、気温も低かった。
しかし振り返れば、驚きの光景が……。
名湯 駅露天風呂(足湯)
街中や駅前にある足湯は度々見かけるが、駅構内にある足湯は初めて見た。
『一駅 一名物』と書かれているから、この周辺の駅にはそれぞれ異色の特色がありそうだし、もしかすると珍しくもないのかもしれない。
けれど、私は純粋に驚いた。
しかも結構ゆったりとした空間取りである。
こんなものがあれば、もちろん入るに決まっている。
見知らぬ土地の夜の駅では、待つ時間が長く感じられることが多い。
列車の本数が少なければ当然人気も少なく、肌寒い季節になるほど心許ないからだ。温もりほど安堵するものはない。
温泉たまご処
温泉が在るところに、温泉たまご有り。
しかも出来あいが置かれているのではなく、自分で作ることができる。
この駅の趣向の素晴らしいところは、「見物」ではなく、あくまで「体験」に軸足が置かれていることだ。
卵は駅のコンビニで管理されており、この仕組みはフードロスの軽減も考慮されているのだろう。
しかも設備が在るだけでなく、かなり親切な配慮が行き届いている。
気温などにより日毎に異なるのであろう「卵の湯浴」最適時間が掲示されており、きれいにラミネートされた作り方もわかりやすい。
温泉たまご用テーブル
温泉と温泉たまご。
ここまでは、日本の温泉地ならではの風物だ。
しかしながら、『名湯 駅 露天風呂』たる所以は、この先にある。
まず、この空間に脱帽した。
必要充分な整備がなされ、掃除も行き届いた空間の極みである。
先ほどの「温泉たまごの調理時間」や「作り方」の掲示に加え、この整った「温泉たまご用テーブル」の空間の先には、当たり前のことながらこの環境を整えた人が居る。
その方との直接の交流がなくとも、伝わってくるものがある。
この土地の人間と他所の人間、あるいはサーバーとユーザーという二元性があり、湯の中で卵が変性する間に自らも温まるという関係がある。
その湯上がりに、仕込んでおいた卵の殻を剥き、自らの内に取り入れる。
そして、食べたものはいずれ自らの一部になる。
途中でも触れたとおり、「見物」ではなく、この一連の「体験」を通して此処に在るものを感じ取ることができるわけだ。
ここに日本特有の美意識である「いき」の構造を見た。
「いき」の構造|九鬼周造 著(岩波文庫)
九鬼周造の『「いき」の構造』について書かれたno+eを見つけたので、以下に引用させていただく。
ここに書かれているように、この駅のホームでは「加減」の妙による美しさを感じ取ることができる。
そこには商売っ気や押し付けがましさは勿論のこと、「おもてなし」とわざわざ言うようなこともない。「ただ、そう在ろうとする」ことだけが凛としてそこに在る。
空間的にバランスの取れたノードとエッジ、あるいは物理的・心理的距離感の統制と言っても良いかもしれない。
*
もしかすると、時間帯や季節、曜日、利用者の数や構成などによって感じ方が違うこともあるだろう。
私は肌寒い季節の夜分21時を前にする頃に、一人で此処に居た。
だからこそ、この場の本質を感じることができたのではないだろうか、と思っている。
レールで卵を割ってみる?
随分と前置きが長くなったけれど、この『レールで卵を割れる駅』なるコンセプトを思いついた人は天才だ。
なんなら駅構内の温泉も、温泉たまご浴槽も、全てはこの「レール」のために用意されたものではなかろうか。
「日本唯一」とあるのは、世界を見渡せば他の国にもあるのか、日本人的な控えめさによる謙遜なのか分からないけれど、この発想は凄い。
最近、資源循環(サーキュラー・エコノミー)の観点でも注目される "アップサイクル" という取り組みがあるが、この古レール活用は時代の先取りであり、未だ最先端をゆく。
あとで調べたところ、2021年8月の豪雨により、元々このレールが使用されていた川岸駅駅前で土石流が発生したそうだ。民家もろとも巻き込まれ、駅構内も大変だっただろうとお察しする。
それと関係があるのか調べることはできていないけれど、この記事を書いている丁度1年前、2023年10月29日に新しい駅舎が使用開始されたらしい。
川岸駅は無人駅ではあるものの、その跨線橋や柱などにも古レールが利用されているとのことなので、またの機会に見に行きたい。
実は今回、時間的なこともあって、温泉たまごを作り、割り、食べる、という肝心の体験を為せなかった。そういった再訪の理由もあることだし、私は諏訪の地を改めて踏むに違いない。
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最後に、わざわざ言うまでもないだろうが、このような駅では、駅スタンプ用の台紙が無くなることなど有りはしないだろう。
この記事にフィクションの要素はありませんので、あしからず。
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