アルバイト先での学びと思い出 (assume innocence)
学生時代にアルバイトをいくつか経験した。
(あと、学生時代が何年前かカウントしようとして、ずいぶん昔になってしまっていて、ちょっとショックを受けた。)
当時、アルバイトが好きだった。カフェやファストフードのレジでの接客の時間が中でもいっとう好きだった。お小遣いが目的だったけど、色々と学びも得ていたと思う。
某ハンバーガーチェーン店で働いた際に、「assume innocence」という考え方を教えてもらった。
直訳すると「無邪気を仮定する」。性善説のようなイメージだ。
お客様がものすごく怒っていて、カウンターの向こう側からあなたに向かって怒鳴り散らしていたとしても、それはあなたを傷つける目的があるわけではない。その方には何か傷ついてしまった背景があり、攻撃的な態度になってしまっているだけだ。
そういう話だったと記憶している。
・相手が攻撃的な態度の時に、自分への攻撃として受けなくていいこと
・相手の人が怒っている背景を想像してみること
この考え方に触れて、少し視界が広くなったような感じがした。
当時の自分は、目の前に不機嫌な人がいるとなんとか機嫌を取らないといけなかったり、不機嫌の責任が自分にあるように感じていた。それが居心地の悪さやストレスになっていた。
「assume inoccence」はそんな自分にとって良いヒントだったと思う。
今でも大切にしている考え方のひとつだ。
思い返してみると当時の自分は接客が本当に好きで、シフト中はお客様に喜ばれたいという本当に純粋な思いで働いていたものだ。
あとになって考えてみればけっこう素っ頓狂なお客様もいたが、当時はお客様に満足していただくことや喜んでいただくことを目指して奮闘していたと思う。
会社勤めを何年かした後は「お店のルールを守れない人や商品を買わない人はお客様ではない」「低価格のファストフード店で客側が高いホスピタリティを要求するものではない」という考え方に変わった。
今の方がバランスの良い働き方ができそうな気はするが、当時の自分の姿勢はけっこう気に入っている。
ちなみにアルバイトしていた某ハンバーガーチェーン店とはマクドナルドのことなのだが、マニュアルや制度が整っていてアルバイト先としてとても面白かった。働き始めは本社直営だったが途中からフランチャイズになり、方針や運営が変わったことを肌で感じられたのも良い経験だったと思う。
ちょっと蛇足
社会経験や社会勉強になるからアルバイトをしておくとよい、的な説があるが、個人的には社会勉強の観点ではアルバイトじゃなくても十分だと思っている。
(近頃はこんな説はないかもしれない。。)
学校でも友人関係の中でも趣味やその他の活動の中でも学べることはたくさんあるし、いわゆる一般社会に出る人は遅かれ早かれ会社生活を経験したり学ぶタイミングが来るので、それを数年早くする必要はそんなに感じない。
社会人生活でスタートダッシュ切りたいのであればそれなりに良いかも。その場合はアルバイトよりもフリーランスで働くとかの方がいいと思うけど。
あと。学校も家庭も社会を構成している要素なのに、学校卒業後の企業勤めの領域を「社会」って表現するの、ちょっと語弊があるなーと思っております。
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