社員の年休取得を無制限にしてみた(後編)|BowLの軌跡
前編では、BowLの(働き方改革ならぬ)休み方改革の実践プロセスを伺いました。上長の承認なしで「いえーい!」と自由に休める制度から、セルフチェック&相互承認制へと展開していき、遂には、年休取得を無制限(!)にしたBowL社。
後編では、彼らの取り組みを通して、見えてきたことを語っていただきます。
「遊びに行くんで休みます!」と言える会社に
(年休取得無制限制度の導入など)こういう動きに対して、よく「ホワイトですね」って言われるけど、「ホワイト企業ですアピール」をしたくてこれをしているわけじゃない。表層的に制度だけ充実させる経営ではないっていう意味ね。「働きやすい会社」というよりは、「自分らしく働くために、自分らしく休めたらいいじゃん」っていうそんな思いから始まっている。
ー個人的には、「ホワイト企業」というと「会社が、個人に対して寛大で優しい」みたいなイメージがあります。一方でBowLは、個人一人ひとりに責任や主導権を返しているようにも感じますね。
うんうん。例えば、福祉・介護の業界では、シフト管理をする人って大抵がマネージャーだわけさ〜。だからみんなマネージャーに対して「休み取りたいです」って言う。これを調整しないといけないのはマネージャーで、社員からは不平不満、不服が出てくる。そのシフトの管理、調整が大変だったら、みんなに任せたらいいんだけど、「そんなことしたら、従業員たちは無茶苦茶するはず〜」って思っているんだよね。本当はさ、BowLみたいなやり方をすると、会社は楽だよ。だって、このシフトの管理責任をマネージャーじゃなくて、メンバー1人1人が負うわけだから。
ーなるほど。個人が自分自身で判断しないといけないっていう、そういうことですかね? それって前編で話してた組織が個人に対して言う「主体的になれ!」というのと、どんな違いがあるんでしょうか?
自由を謳歌するためには責任が伴うじゃん。「私が判断して、私が行動する」という自由と責任。一人ひとりのセルフリーダーシップ(=「私の人生の主導権は、私が持っている」)が大事にされるところであり、問われるところだと思う。さっきのマネージャーが全部シフトを管理するケースは、この視点がないように思う。会社や上司のリーダーシップではなくて、その人自身のリーダーシップ(「あなたの人生の主導権は、あなたが持っている」)の可能性を見ることを、BowLでは大事にしているなあ。
そして、セルフリーダーシップとセットで、リレーションシップ(個人間の信頼関係)も大事にしてる。できてない所を指摘する関係ではなく、足りないところを補い合う関係。だから「働き方」ではなく「休み方」から手をつけてる気がする。「私が1人でこれだけ仕事しました!」ではなく「遊びに行くので休みます!」と言えるようになるところから始めている。そういう職場が働きやすいんじゃないかなあ。
あなたが休みを取るということは、いつか私が休みを取るということ
もう1つさ、「私だったらどうだろう?」って想像できることが大事だと思う。ある会社では、女性社員の子どもが熱を出して、どうしても今日は仕事に行けないっていう日に「すみません。今日ちょっと有給休暇を取らせてください」って連絡したら、マネージャーから「ベビーシッターは呼ばないんですか?」とか「病児保育に預けてきてください」って言われたりするんだって。
子育て支援制度として、多様な選択肢を会社が用意していること自体は素晴らしいけど、その制度をどう使うかは、本人が決めることだと思う。自分の場合、病気ですごく辛そうな我が子を見た時に、「病児保育には連れて行けんぜ」って思うわけさ。子ども本人は体調悪くて不安だろうし、お父さん、お母さんの近くにいたいはずじゃん。一番安心安全な場所に居たい時なのに、全く知らないベビーシッターが来て朝から夜まで見てもらうのは「(子どもが)かわいそうだな」って、その時は思ったわけよ。職場には、他にも子育て中のお父さん、お母さんたちがいるわけだから、「お互い様だね」って休みを取りあえるのが自然だなあと思う。会社として「この制度使って、休まず働きなさい」って強制するのはおかしな話だよね。
ー「私だったらどうだろう」っていうのは、未来や過去と今がつながっている感じがします。でも、今のことだけを考えると、「今日あなたが来ないと会社が困るから、ベビーシッター制度を使って出社してください」みたいなことになっちゃうのかな。
たしかにそうだね。「私だったら?」って、今も過去も未来も同時にあるかもしれない。あの時、同じ経験したなって過去を振り返ることもあるし、この先、自分も同じ立場になるかもしれないってのもある。あなたの中に過去や未来の私がいたり、私の中に過去や未来のあなたがいたりする。「私がもしあなただったら?」っていう想像を巡らしてみるだけでも、共感力は身についていくんじゃないかな。誰でも元々持っているとは思うんだけどね〜。
ー私自身にも身に覚えがありますが、自分で精一杯になると、相手の気持ちが見えなくなりますよね。周りから自分を大事にされてないと感じると、「自分で自分を守らねば」モードが発動するのも致し方ないと思います。本来は誰でも持っている共感力だけど、その発動条件が整っていない職場環境であれば、鈍感でないと、むしろ他者を押しのけないと生き残れないのかもしれませんね。
制度づくりの中で湧き起こった感情
この制度をつくっていく中で、ずーっとモヤモヤしていたこともあったんだよね。たとえば、制度が意図したように使われない時に、めっちゃ怒りが沸いてきたりね。本来の目的はみんながよりよく生き、よりよく働けるために作った制度なのに、違うように受け取られて、批判的なコメントが返ってきた時には、とっても悲しくなったりね。でもさ、すごくよかったのは、そういう感情面を一緒に制度づくりをすすめていたニカさんと共有できていたこと。自分の内から出てくるいろんな感情を一人だけで押し殺さずに、2人の間で全部出しあって、確認、消化しながら、少しずつ枠組みを変えていったわけ。
具体的に言うと、ある時、意図とは違う使い方をしている後輩に対して、チャットで論破したりしてしまうことがあったんだけどさ。ニカさんから「それ、なんのためにやってるの?」とか、「これマッキーが意図したことになると思う?」とかって、すぐフィードバックがとんでくるわけ。もう「ウチアタイ」よね。「はあーーーやってしまった」ってなる。これを何度も何度も繰り返してきたわけさ〜(笑)。
その中で、他者への共感力も少しずつ身についていったように思う。俺、元々はすごく鈍感な人だったからさ(苦笑)。
ー今のまっきーさんからは、鈍感なまっきーさんは想像できないですね(笑)。
この取り組みを通して見えてきたこと
実はさ、感情をめっちゃ大事にしたいと思ってるんだけど、でも感情に左右されないために、このシステムを作ったってのもあるんだよね。
例えば、さっきのマネージャーが全部シフト調整する例って、一見無機質なように見えて、めちゃくちゃ感情がうごめきやすいわけよ。「あの人が休み取れて、なんで私はとれないの?」とか、「なんで私は2年連続、年末年始仕事出ないといけないの?」とかね。その自分自身の感情をため込まずに大切にして、言葉にしてみんなに伝えられるといいと思う。「私、2年連続で年末年始出勤してるから、今年は休みたい!」って正直に言えばいいわけよ〜。「ああ、そうだね」って、「じゃあ今回〇〇さん休んでいいよ」とか「今回は、私が出ようね」っていうふうなことが話されるでしょ。感情を大切にするから、感情に左右されなくなっていく。そういうシステムを作ろうっていう意図があって、そのためには、やっぱりセルフリーダーシップ(「私の人生の主導権は、私が持っている」)とリレーションシップ(個人間の信頼関係)が大事になってくる。
制度づくりはハードの話で、これをどう使うかっていうのはソフトの話。このソフトの部分とハードの部分が上手くマッチして行かないと、制度は生きた生命のようには機能していかない。だから制度(ハード)を作る時は、それを使う人がどういう心のあり方で使ってもらえるかというソフト面を必ず意識するようにしてる。
ーハード(制度)とハート(使う人の心のあり方)の相互作用がどこまでも続いていくっていう感じなんですかね。ものすごく難しそうにも聞こえますし、ものすごく生命っぽいなあとも感じます。
そうだね。まずは、コアメンバーの間で思想を共有できないと難しい。共有できたら、チームのことが俯瞰して見れるようになる。チームを俯瞰して見れると、新しい制度を導入する時の具体的な想像を巡らせられるようになってくる。「このパターンはどうする?」とか「だったらこうしよう」って、何度も制度(ハード)を揉んでいく。そして、メンバー相互にフィードバックを何度も受け合う。その時に「そんなこと言うなよ(泣)」って思うような辛いコメントが出てきたりもするんだけど、それも受け入れる。この辺りは、賞与制度をつくったときの話を振り返ることで、もう少し深めていけるかもしれないな。
ー「ウチアタイ」しながらも、誠実に、互いの感情(ハート)の動きを言葉にして伝え合う。セルフリーダーシップとリレーションシップを大事にしながら、休んで、働く。とっても面白いです!次回は、「賞与制度」作りのお話ですね。一体どんな経過と葛藤があったのか、お聞きできるのが楽しみです!
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