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1、江戸時代初期の人口爆発

では歴史人口学の観点で江戸時代から日本の人口の歴史を見ていこう。総務省のデータによると鎌倉幕府成立の1192年で757万人、江戸幕府成立の1603年で1227万人。続いて徳川幕府第八代将軍吉宗が行った享保の改革1716年で3128万人、明治維新の1868年で3330万人。江戸時代から明治時代までのおよそ250年間で人口は約3倍に至っている。終戦の1945年で7199万人、そしてピークになるのは2004年の1億2784万人となっている。歴史人口のデータで興味深く、着目するべきところは、人口が記されている年は幕府成立など日本の大きな転換点となった出来事であるのに対してそこに享保の改革時の人口が記されていること。江戸幕府成立ごろから人口は飛躍的に伸び始めているが享保の改革が行われる江戸幕府中期の1716年から人口増加は止まっている、むしろ減っているということ。そして明治維新、終戦、2004年のピークになるまでの136年間の人口の伸びも目を見張るものがあるということだ。まず江戸時代の人々がどのような生活を営んでいたかを知る必要があるが、私たちの江戸時代に対する認識はいささか語弊がある。上念司氏の記した「経済で読み解く日本史」シリーズから引用すると江戸時代は「エネルギー革命なく発達できる限界までたどり着いた社会」と表現されている。江戸時代、ほとんどが米を生産する農民で、領主の高い年貢により貧しい生活を強いられているというイメージがあるが、これは教科書が植え付けた明治時代以後が江戸時代を超克した時代であると思わせるための巧妙な技法である。これを貧農史観と呼び実際は農民の割合はそこまで多くなく、農民は米を生産するだけでなく諸色と呼ばれる米より高く売れる農作物や副業ともいうべき商売を行っており、以前よりも豊かな生活を送れていたという。そして人々がこのような生活が送ることができるようになったのは信長、秀吉、そしてその地盤を引き継いだ家康の功績が大きかった。多くの人々が豊かであるということは経済活動が活発であることを意味している。経済というのは端的に言えば「お金の流れ」であり経済活動が活発であるということは個人が物、サービスを生産する、購入するという売買関係をつくりお金の流れを加速させるということに他ならない。上念司氏がいうにはこのような経済成長を遂げる土台である「経済のインフラ」が整う必要があるという。「経済のインフラ」は三つのポイントに集約される。①物流の自由、②決済手段の確保、③商取引のルール整備である。①の物流の自由は信長、秀吉の力が大きい。まず各地の戦国大名が合戦の準備のため補給線を整備しておりそれが物流網として機能していた。そして当時の寺社が軍事、経済の利権を独占していたが、信長が比叡山延暦寺を焼き討ちしたように寺社勢力を徹底的に弾圧、宗教的な活動に制限されていた商売が自由の身になった。②の決済の手段の確保についていうと、決済の手段とは貨幣のことである。物と物とをその場で交換する物々交換は取引の機会が制限されるため経済が成長しない。その制限から解放されるために貨幣は必要不可欠だ。すでに安土桃山時代、国内の一部で外貨が流通していたがさらに自国通貨を発行し日本中に流通させたのが家康である。江戸時代初期は日本中で多くの金山、銀山が発見されそこから採掘された金、銀で貨幣を鋳造したのだ。③の商取引のルール整備について、商売というのは常に損をするかもしれないというリスクが伴う。しかし相手が契約を履行しない可能性などのリスクは法を整備して違法行為とすることで取り払わなければ誰も恐ろしくて商売には手を出せない。信長、秀吉は自由になった商人を手厚く庇護したことで商売がますます行われるようになった。このようなことから日本は安土桃山時代から経済発展の土壌が整っており、この地盤を引き継いだ家康の江戸時代は経済発展が必定だったといっても差し支えないだろう。この経済発展によって人々は多くの物に囲まれ、さらに江戸時代初期、主に家康から家光の時代は新田開発による食糧の安定供給が始まり人々の衣食住が改善され死亡率が低下し、人口が爆発した。17世紀初頭のイングランドと比べてみると当時のイングランドは絶対王政を行う中央集権的な国家であり日本ほど個人の政治的、経済的自由が保障されていなかったため、17世紀初頭の両国の経済面に関していえば日本のほうが活発であったと断定することができる。しかしイギリスは17世紀後半に絶対王政を打破。その後世界で初めて産業革命を達成したことで生産性の壁の破壊に成功し、日本を圧倒する覇権国家への道を歩むことになる。これこそ上念司氏が江戸時代を「エネルギー革命なく発達できる限界までたどり着いた社会」と表現した真意だろう。

統計局ホームページ/人口推計_総務省統計局https://www.soumu.go.jp/main_content/000273900.pdf

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今年の3月、4月にコロナ禍真っ只中で暇なテルが書いた人口問題に関する論文じみた文章です。人口や少子化という概念を歴史的に分析し、主に人口と…

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