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KOKUGO & KANJI

KANJI

国語の授業の中で、ひらがな、カタカナ、漢字の学習を行なったことを記憶している人は、たくさんいらっしゃると思います。
漢字という文字は、日本には古くから根付き無くはならない文化ともなっています。
この文字は言語コミュニケーションにおいて、一般的に必要不可欠な要素であると考えられていますし、日本語で文学を読もうすると、度々漢字を読み理解するということが必要になってきます。
未就学児から、低学年・中学年・高学年と進級するにともない、読める漢字も増えてきて、小説なども読むことができます。
読書好きな私の子供も、低学年時には小説には苦労しました。読みたいけれど、漢字が分からない。よって、ルビをふるという日々。中々、しんどかったな〜と思い出します。
ではここで、学校教育の国語の授業に話を移していきましょう。
この国語の授業ですが、文字を習得する時間も伴っています。ひらがなにはじまり、カタカナを経て、漢字という流れを採用している学校が多いのでないでしょうか。そして、習う文字は読み・書きできるようになるということが、目当てであるという錯覚をおこします。それがあたかも、学習指導要領で謳われているかのような錯覚です。
しかし、文科省が提示する国語の授業は、コミュニケーションをとれることを目的としています。そして、漢字についての言及を紐解くと、習う漢字は、習ったその学年で、読めること。そして以前の学年時に習ったものが、「使える」ということを目標としています。つまり、2年生が2年生で習う漢字は出たら「読めてね〜」というもの。2年生は日常生活において、1年生で習った漢字を「使えてね〜」というここです。
「読める・書ける」と「読める・使える」
ここにはとても大きな違いがあります。
「使える」ということは、状況に寄って変化してくる表現です。
「使える」とはどういうことなのか、どうなれば「使えている」のか日々の中にこども達と考えて見ると、大きな学びに繋がります。

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