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アート思考について

現代アートの現代性。

現代に求められている形、現代に対する応答としての現代アート。

不連続、不確実の時代、社会がどのようになっているのか、現代アートがそれを見つめ直す助けになるはず。

アート思考が流行った2019年。およそ次の二点になるような気がする。

1. アートの技術を学ぶということ、例えばデッサン

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2. ゼロからイチを求める(生み出す)ということ

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1については、デッサンを通じて右脳を鍛えようというもので、カルチャースクールのような印象は否めない。確かに、物の見方、実際の比率を目で見て画面に再構成するというのは何らかの助けになるかもしれないけれど、だからといってビジネスに還元できるとも思えない。

2については、そもそも何を生み出すというのか。

どうも、デザインシンキングへのカウンターとしてアートシンキングと言っているようにしか思えない。

僕はデザイナーではないけれど、デザインの教育、訓練を受けた。

デザインシンキングについて一定の効果があったと認める。けれども、デザインシンキングでなくとも到達できたと思う事例が多い。そして、デザイナーの思考を拝借してきて非デザイナーがワークショップを実施するということに、どうしても現実への落とし込みという問題が発生すると思う。

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これならば、ロジカルシンキングでいいじゃないか。

ただ、ロジカルシンキングは難しい。

付箋紙を使ってワークショップを行い、プロトタイプをやったらデザインシンキングっぽくなることに比べると、ハードルはとてつもなく高いと思う。コンサルティングファームに在籍していた時も、コンサルタントがロジカルシンキングを分からずにリタイアしていった例を多く見てきた。

デザインシンキングは人に注目する。マーケットインという手法と結びついて、市場が求められている商品を投入するようになったように思う。その結果として、つまらないものが溢れる市場になった。

新しい概念をプロダクトアウトする。スマートフォンがその最たる事例だけど、そうそう新しいコンセプトの商品が出てくるわけじゃ無い。

世の中の不便を改善する仕組みがデザイナーの視点なんだと思う。

「困った」が無いとソリューションを提案できない。

デザイナーは、この困ったを上手いこと発想を飛ばして、新たな価値を提案する。デザインシンキングでは、この「困った」の提示に迷走することが多いような気がする。


アートが提示するのは問いかけだけ


30年前には現代アートのマーケットは存在していなかった。それが2019年には、ジェフ・クーンズの彫刻が100億円を超えるなどのニュースがあった。

ジェフ・クーンズほど、マーケットの仕組みを熟知しているアーティストは居ないと思う。

いま、現代アートのネットワークの一番はゲルハルト・リヒター。しかし、次の10年紀にはアーティストの入れ替わりがあることは必須。1960年代生まれへの世代交代があるだろう。ちょうど手元にあった東洋経済の2020年の経営者インタビューを確認すると、1960年代生まれの経営者がちらほらと出てきた。

一方で、僕の勤務先を含めた外資の大手IT企業では、1980年代生まれと若返り、女性といった経営者が出現していきている。

日本が、それをそのまま踏襲する必要は無いと思うのだけど、もっと外部の環境に敏感になってもいいと思う。それこそ現代性を感じるアーティストの思考が助けになるはず。

世界のアートネットワーク、日本のアートネットワーク。そこでアーティストが考えていることは何か。現代に対して、どういった問題提起をているのか。こうしたアーティストの思考こそ、アート思考。現代を見るメジャーとして機能するはず。


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