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写真とテキストあるいは絵画

名古屋駅から徒歩7分程度のところに鮮魚を扱う市場がある。それほど広くないけれど、台車に魚を積んで運ぶ様子はとても活気がある。卸が主体ではあるけれど、食堂もあるし、お昼近くの閉店時間になると小売りもしてくれるのではないかなと思う。ただ、旅先で生魚を買うわけにはいかないので、試したことはないけれど。

そんな魚市場のすぐ近くにFlowがある。現代アート写真をメインに取り扱うギャラリーであり、開廊して1年程になる。そこで石本陽の個展を行った。石本は一貫して音と視覚との関係性を探求してきた。

今回の展示は、音からことばへの変化を探るもの。ヴァナキュラーの可視化ともとれるが、そうした解釈も含めて、意味を脱構築した姿を見せている。

なぜ、写真ギャラリーのFlowがテキストを提示するのか?

この見える音の前は石丸佳汰の映像作品を提示していた。ペインターの石丸佳汰はアートの様々な可能性を試している。アクリル板に置かれた絵具の痕跡とその様子を撮影した映像作品、絵画のようなレイヤーを分解し、それぞれを写し取る作品だった。

石丸は絵画からの、石本は感覚的な身体性からの模索をしている。こうした映像作品とテキスト作品を提示する意図は何か?

ディレクターの中澤賢に話を聞いたところ、写真に対してもこうした問いかけ、模索あるいは実験が必要であるということを示したかっという。写真とは何か。新たなメディアとしての可能性、写真がアーカイブとして成立するためには何が必要なのか。テキストと映像との、写真の交差を見せようとしているのだろう。この展示は、やがて面のような広がりを見せるだろうか。注目していきたい。

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