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見える音

佐賀大学の卒業制作展、2016年に設立されたミクストメディア。今年が一期生の卒業、初めての卒業制作展というわけだ。

石本陽の《見える音》がよかった。

大きめの部屋、天井も高く、日差しも入る。通り抜けができる部屋で風が抜ける。そこに広げられたロール紙、ひたすら筆記する女性がヘッドフォンをつけて座っている。女性が見ているのは3つのモニタ、そこに映し出されているのは波形。傍にマイクが設置されており、この会場の音をアナログからデジタルへ変換をして、波形としてモニタに表示していることがわかる。そうして視覚化された音を見て、筆記している。

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卒業制作の期間中、パフォーマンスを上演していたのだろうか。ちょうど展示開始から折り返しあたりの日程、周りのロール紙を見れば、どれだけの積み重ねをしてきたのかを思い知る。

作品解説は、次のようにあった。

3つのモニターには音の波形がリアルタイムで流されている。そして、それに正対して、一人の耳栓をした女性がモニターに映し出される波形を手作業で書き出している。下に溜まっていく不正確な音の波形を表す白い紙。会場には静寂が広がる。音が生まれる空間の性質の視覚化を試みる石本は、パフォーマンス形式で今作品を行う。音の発生には何かが存在することが必要となる。それを自身または鑑賞者の肉体を空間に介入させることで、強制的に発生させ、音の広がりと共に音が消えるその様を彼女はここにもたらす。

風が吹くとログされたロール紙が揺らされる。その音をマイクが拾って新たな環境音を作る。もちろん、鑑賞者の足音、話し声もマイクが拾う。

環境からのフィードバックを受けてログを生成していく、そのログが環境に影響を与えて、自分自身に還元されていく、スパイラルなのかループなのか。

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環境からの音→マイクによる集音と音のアナログ・デジタル変換→波形表示→視覚からの入力→筆記としての出力。

入力、変換、変換、変換、出力。

マイクからサンプリングされた音は、サンプリングレートによって幾分か端折られて波形として変換される。変換された波形はモニタの解像度に応じて変換される。引き延ばされるか、圧縮されるか。それを見ているパフォーマー、目から脳へ、その刺激を受けて手を動かし、筆記する。その筆記も色鉛筆を使っていて、何色を使うかはパフォーマーに任されているし、芯が短くなったら削る。その削りカスも環境に放置されている。削っている間は記録も止まる。パフォーマーによるサンプリングレートが存在するということだ。

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出力が思いっきり、主観に振っている。前段のマイクからモニター、すなわち機械によるサンプリングと対比するかのような人による入力・変換・出力。

ロール紙のログは環境に介入し、新たな環境音を生成する。展示のはじまり、無音ということはないから、穏やかな波形に当初は鑑賞者の足音だけであっただろう。展示7日目のカオス。こうして時間を見せているのか、環境と人との関係性を見せているのか。

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エントロピーとは複雑さ。展示期間の経過とともにエントロピーが増加していく。まだ何も書かれていないロール紙と今まさに書き込まれているログ。そして、既に過去となったログとしてのロール紙。広い部屋の展示でありながら、現在、すなわちイマココが出現している場所の狭さ。そこへのフォーカスは、時間と環境を意識せざるをえない。

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アーティストと話をしたいと思ったのだけど、ヘッドフォンをしているし、パフォーマンスの最中。休憩時間とか無いのかなと思ったけど、鑑賞者がなくなっても延々と筆記を続けていた。


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