見出し画像

中野香織『「イノベーター」で読むアパレル全史』 読書メモ

イノベーター。ファッション・アパレル界隈では、そうした突出した革新者の出現によって、それまでとは違った世界が出現する。

ファッション。人の姿を象る。実用なのか、夢なのか、華やかなようでいて、泥臭い業界でもある。

コンサルタントとして、2013年からファッション業界の裏方、サプライチェーンや e コマース周りの支援をしてきた。製造、製薬、消費財、小売り、金融、総合商社、様々な業界、業種の仕事をしてきたけれど、ファッション業界の経験が一番長くなった。現代アートの研究によって、今まで触れてこなかったクリエイティブにも、自分なりの言説をもてるようになってきた。今後も、この業界に関わり続けていくのだろうと思う。

本書は、オートクチュールの始祖、チャールズ・フレデリック・ワースにはじまり、昨年のLVMHグループによるティファニー買収あたりまでの歴史において、注目すべきファッション界隈の人物を取り上げて、その人物が何をしたのか、どのような変化を与えたのかを整理している。全史とはあるけれど、入門書として、紙面と締め切りの都合により、他にも取り上げるべき人を止む無くカットしているという。


モードは、クチュリエ / クチュリエ―ルと言われる高級仕立服の誕生、1858年から歴史が始まる。アメリカの南北戦争の前から。

オートクチュールの始祖、チャールズ・フレデリック・ワースはアイデアに溢れていた人のようで、今日では当たり前にビジネスの仕組みに組み込まれていることを初めてやった。

オートクチュールのシステムを作ってビジネスを始めた、それまでは分業が基本だった服作りに対して、一人のデザイナーが一貫して服作りをしたということ。動くマネキン、ファッションモデルを創り出し、ブランド・ビジネスの創始者として販売した服に自社のブランド・ラベルを貼り付けた。客に自分の店に来てもらうという習慣を作る。これは上流階級のサロン文化を踏襲した販売スタイル。注文を受けた顧客のドレスが被らないように、顧客情報を管理することも始めた。今で言うCRMだ。


2015年のキモノ・ウェンズデー中止事件。白人の少女が着物を着て炎上、白人が非白人の文化を盗用するとして非難された。当の日本人は炎上してから、そんなことがあったんだ。といった具合。

文化へのリスペクトではなく「盗用」とみなされるという厳しい監視の時代に私たちは生きている。(P.19)

ネット、とりわけソーシャル・ネットワークは、人々を不寛容にさせてしまうのか。


コルセットの解放は、シャネルによるものと誤解していたけれど、ポール・ポワレの手によるものだった。

この本で読んだような気になっていた。

日本の武家の奥方が着用していた小袖、それにヒントを得たキモノ・ドレス。室内着はコルセット無しでもいいだろう。コルセットが無くても美しく装えるキモノが注目された。

コルセット解放の誤解は、次の一文だったのだろうと思う。

ウエストはコルセットから解放したものの、裾をすぼめ、よちよち歩きしかできない「ホブルスカート」を考案して、今度は女性の足を拘束した。女性の身体のどこかを拘束したいという男性の願望(?)は、どこかに反映され続けていたわけである。(P.22)


シャネルの女性のファッションの解放、ジャージー素材の見直し、上流階級へのアイロニー、数々の映画。彼女の作り出すファッションのみならず、彼女の人生に夢中になる。

シャネルが生きた時代よりも女性ははるかに自由な選択を許されるようになったが、ありすぎる選択肢を前に女性はかえって萎縮し、遠慮あるいは混乱しているように見えることもある。(P.28)

スキャパレリは、女性の感性を解放した。シャネルは、女性の身体を解放した。シュール・レアリスム、ダリとのコラボにより生まれた、ジッパー付きのドレス。工業製品であるジッパーをドレスに使うというのは、当時は前衛的であった。

感性の解放。

「あり得ない」ものが与えるショックによって驚きや笑いを引き起こし、心を、ひいては人生を、活気あるカラフルなものへと生まれ変わらせる。(P.31)

当時、ショッキング・ピンクが、この役割を担ったのだろうか。


クリスチャン・ディオールはパリにモードのサイクルを作り上げた。急逝したディオールの後を継いだのが、イヴ・サンローラン。まだ21歳だった。彼もスクリーンに度々登場している。

ディオールが作った8の字ラインはコルセットを復活させた。それに激怒したのがシャネル、ここでシャネルの復帰を促す。既に70歳での現場への復帰。エレガント趣味のパリではなく、実利的なアメリカで見事に復活する。

モンドリアンのコンポジションを参照したモンドリアン・ルック。恐らく、赤、青、黄のコンポジションを見たのは、モンドリアンの平面作品ではなくて、イヴ・サンローランのドレスだったのではないか。

タキシード・ルックが女性の社会進出を後押しする。

「シャネルは女性に自由を与えたが、僕は女性にパワーを与えた」とサンローラン自身が語っている。(P.48)

前衛的な左岸に「イヴ・サンローラン リヴ・ゴーシュ」を開く。右岸にはエルメスがあり、保守層が好む。

「黒人は美しくセクシーだ。ぼくの服を着てほしいと思った。」
社会のバランスに配慮して有色人種モデルを起用したのではなく、審美眼を持つデザイナーが、ただただ美しいと思ったから歩かせた。その結果、社会が有色人種の美しさに気づき、多文化主義が進んだのである。「ファッションが社会を変える」本質的な力が、まさにここにおいて光り輝いている。(P.48)

何が前衛なのか、2020年の今だから、これを前衛と捉えることができる。リオタールのテキストを思い起こす。



1960年代のロンドンはパワーに溢れていた。労働者階級、ビートルズ。その中に、ヴィダル・サスーン、マリー・クヮントも並べられていた。

ミニスカートを発明したら、髪型、メイク、下着に至るまで、ミニスカートにあわせなければならない。ウォーター・プルーフのマスカラは大きな発明品だった。

クヮントは「すべてを変えた」と評されるのだが、変えたのは服だけではなく女性のアティチュード(態度、考え方)、ひいては行動、ついには社会であった。ファッション史の流れも変えた。上流階級からストリートへ「下りて」くる流行ではなく、ストリート発の流行を上流階級に模倣させた。(P.55)

日本では、この頃ツイッギーが来日して、ミニスカートブームを巻き起こした。ミニスカートによって変えたのは女性の装いだけでなかった。

優れたファッションデザイナーとは、服よりもむしろ、時代が求めている人間像をデザインする力のある人のことである。(P.66)


ジョルジオ・アルマーニの形容詞、仕事人間、かっこよさ。社会貢献にいち早く取り組む。

ネイビーブルーは、人との距離感を作ってくれる色だ、とアルマーニは語るのだ。拒絶せず、オープンで、しかし、なれなれしくなるほどには近づかない。紳士的態度を保つことができる色、それがネイビーブルーであると。(P.70,71)


このコロナ禍においても、もっとゆっくりするべきだと発言した。

日本のファッション業界の方と面談をしていると、もはやサスティナブル無しでは語れない。今回のコロナ禍によって、そうしたことを見直すタイミングになったのだろうと話をした。


ラルフ・ローレンの真骨頂

観客とファンタジーを共有すること。(P.72)

ラルフ・ローレンが作り上げたPOLOは、欧州の上流階級を連想させる。それはアメリカには存在しない階級社会、そのファンタジーを人々の憧れとして共有した。コンセプトを作る人。ラルフ・ローレンが選ぶのは色であり、パターンやデザインは縫製工場に任せているという話を聞いたことがある。

アメリカの上流階級という幻想をファッションの力によって現出させてしまったことを感慨深く見せる。(P.74)


ジャン=ポール・ゴルチェは、多様性と包摂を40年近くも前に先取りしていた。男性にはスカートをはく自由があるとしている。

ブランドを築くこともさることながら、ブランドの後継者を見つけ(育て)、続けていくことにこそ、実はブランドビジネスの要諦があるのではないかと思わされる。(P.88)

この引用は DVF の話だけど、これはファッション・ブランドに限った話ではない。自動車のスズキ、モーター大手のNIDECの永森会長の後継者など。

ソニー、松下も後継者問題で、いろいろとあった。ファーストリテイリングも、ソフトバンクも後継者でニュースに取り上げられる。


強烈な個性を持った創業デザイナー、超越した何かを持っている。

増えすぎたショーのスケジュールに疲弊し、インフルエンサーやデジタルマーケティングに振り回される昨今のファッションビジネスの世界にあって、信念に基づいた彼独自のやり方が、彼が作る服と同様、神々しいほどのスタイルと見え、いっそうの敬意と憧れを抱かせられるのである。(P.91)

後継者は、創業デザイナーの名前を冠したブランドをどうするべきか?

ファッションブランドは、名前にこそ本質的な意味があるのだ。(P.99)

最近、『バック・トゥー・ザ・フューチャー』で、マーティーの下着に入っていたロゴから、ロレインはマーティーのことをカルバン・クラインと呼ぶ。

ブランドに所有されることになる?

いいねを捧げる無償労働に駆り出される?

これって、バレンシエガ的な展開。

ブランドの所有については、アニエス・ベーが作ったフェリックス・ゴンザレス=トーレスによる《誰も私を所有していない》を参照してほしい。

さておき、ブランドの後継者選びも名前がある分、企業の後継者選びと同様に難しい。シャネルの後を引き継いだカール・ラガーフェルドは見事だったが、シャネル、フェンディ、自分のブランドの後継者問題を抱えたままだった。

ブランドの継承に単一の成功セオリーはない。ただ、創業者が後継者に与えることのできる最高のギフトは、レガシーを創業者への忖度なく使える自由であることは、間違いない。(P.102)


20世紀の西洋モードに影響を与えたのが着物というのが興味深い。印象派の出現は日本の浮世絵が影響を与えた。オリエンタリズムが織り込まれ、今に至る。元々オリエンタリズムは、文化の序列をつける考え方だったけれど、今となっては、薄れてきているのかもしれない。


森英恵の活躍。当初は海外で評価されることを目指していた。というのも、日本の売場では、隅に追いやられていたから。

海外での評価が日本で逆輸入されてはじめて、日本のデザイナーが日本国内で評価されるという、この西洋コンプレックス丸出しの構造は、それから半世紀経っても、さほど変わっていない。(P.107)

ビジネスは101億円の負債を出し民事再生法の適用を受けた。

美意識とビジネス

憧れのプレタポルテがあれば、それを目指して似合うように努力する。

日本の女性が加速度的に美しくなっていくことも興味深い。(P.121)

山本耀司も2009年に民事再生法の適用を申請、60億円の負債を抱えた。こうしたファッション業界の浮き沈み、NIGO も自身のブランドを手放しているし、デザイナーとビジネスとの関係性を、一度整理してみよう。

山本耀司と川久保玲がパリ・モードのゲームチェンジをしたことは事実。



コングロマリット、大資本によるブランドの吸収が進む21世紀。

ベルナール・アルノーの存在感が強くなる。ミッテラン大統領の社会主義政策を嫌ってアメリカに渡ったときに、タクシーの運転手と会話、フランスのことはディオールなら知っているという。

ムッシュウ・ディオールはもう亡くなっているというのに、名前は栄光を失わず世界で輝き続けているのだ。ここにブランドが持つ力をかぎとったアルノーは、誰もが知っているブランドを手にすることを、世界帝国を築くためのジャンピングボードにしたのである。(P.147)

ただ、レナウンの破綻はどうだ。

山東如意グループが、レナウンを支援したのは、誰もが知っているブランド、アーノルド・パーマーがあり、価値があると判断したとしたインタビュー記事を見た。


デザイナーはクリエイティブ・ディレクターと呼ばれ、コレクションのみならず、店舗、広告までも任される。デザイナーがブランドを渡り歩けば、ブランドも均質化していく。世界の主要な都市の中心部に、同じようなブランドの旗艦店が並ぶような均質化した世界。

飽きっぽい消費者の注意をひくために、シーズンを短期で回す必要があり、これはクイック・レスポンスのような様相を呈す。結果としてファスト・ファッション的なハイ・ブランドが出現する。


フランソワ・ピノーは、2012年に方針転換、クリエイティブ・リスクを取ることを決めた。この年は、ソーシャル・メディアが、本格的に始動した年である。

スマートフォンの画面のなかで、より人目を引くファッションが求められるようになった。バレンシアガの目立つロゴやグッチのぎょっとするスタイルには、視線が止まる。その結果、多くの承認を得られるならば、感情ないし自己表現欲は満足を得ることとなる。(P.156)

黄色いベスト運動、ノートルダム寺院の火災に対するピノーとアルノーの寄付合戦、フランスが抱える格差問題。


ファーストリテイリング。コーポレート・アイデンティティから作り直すブランディング、ユニクロはブランドか?なんて議論もあるけれど、それはブランドというものを狭く捉えすぎているようにも見える。

柳井正は、ファッションの圏外でマーケティングを行うことにより、ファッションの意味や価値そのものを大きく変えてしまったのである。(P.169)


ファッション・ビジネスは難しい。プロ経営者を雇った老舗メーカーも、そうした言葉を残して経営者が去っていく。それは、社会を的確にとらえ、人の装いとしてコミュニケーションしていく必要があるからではないだろうか。全部の人と対話するなんて、到底無理な話で、ケリングのクリエイティブ・リスクの話もそうだけど、ナイキのキャパニックの広告起用も、その例だと思う。

たとえ一部の顧客を失おうとも、信念を貫く人をブレずに支え続けた(P.180)

これが、ナイキのブランド・メッセージとして強烈に印象付けたのは間違いない。文字通りの炎上(ナイキのスニーカーを燃やす映像が拡散された)もあったけれど、ブレないメッセージが大事。経営者が、そのリスクを取ることも。



ファッションには審美的な側面がある。人を見ての美しさ。ただ、その美しさというのは社会の要請によって変化していく。あるいは影響を与えていく。

トム・フォード、リー・アレキサンダー・マックイーン、ジョン・ガリアーノ、エディ・スリマン。

ファッション史、人の歴史、社会の歴史。なぜ、現代アートにこうした本がないのだろうか。アートの世界、近代は個人によるもので、現代はスタジオなどで複数人が関わることが多い。ファッション業界ほどの市場の透明性は無いし、ショーに該当するであろう展覧会が歴史的、体系的に整理されているわけでもない。事態は複雑である。それでも着手していく姿勢はすごい。


ブランドが独立したデザイナーにクリエイティブを任せる。カール・ラガーフェルドが、そうしたスタイルを確立させた。

自己演出をしすぎたので、いまとなっては本当の自分などわからない」(P.201)

ショーのプレッシャー、華やかさと闇。



安っぽいというイメージのストリートウェア。

ヴァージルはそれを知的で高級な、主流のモードに格上げしたのである。同時に、音楽やセレブリティを巻き込んで、ラグジュアリー・ストリートというジャンルを一種の「カルチャー」に変えてしまった。(P.207)

最初のショーの後、ランウェイでカニエ・ウェストと抱き合って、しばらく泣き続けた。

感情をこのように素直に表現することこそが、垣根を払って多様な人々とつながるために最も大切なことなのではないかと。
クールな多様性社会を実現させるのは、熱い情熱を持つ「人」なのだということを、ヴァージルは存在そのもので示し続ける。(P.208)

ストリート界隈からは、いろいろな批判が出ているらしい。



ドメニコ・ドルチェ&ステファノ・ガッバーナ

2017年に日本で発表したコレクションは、日本への底知れぬ敬意と愛情があったが、使った素材はイタリア製のもの、フュージョンはしないということ。それでもモデルは日本人の平均的な体系モデルを起用し、その体系にあったスタイルを提示した。これは最上の敬意の表し方。

ジェンダーレスは(男と女の)フュージョンです。あり得ない」(P.212)

昨今のジェンダー論を否定するモノではなく、それぞれの持ち味を踏まえた上で違いを明確に表現するべきとしていて、グローバリゼーションとは対極のローカルを大切にする考え方。

他の誰かを羨んだり、真似したりすることではなく、自分だけが持つ魅力に自信を持つこと。それを示すのが、このブランドの価値ということ。

ただ、中国のショーは、SNS の失態により大炎上してしまったが、新しい顧客、ミレニアルズを如何に取り込むのか、試行錯誤が続いているらしい。こうした試行錯誤が素晴らしい。これを止めてしまったら、自らをアップデートすることができなくなり、滅んでいくしかないから。


アレッサンドロ・ミケーレによって、ファッションの世界にも美意識の転換が持ち込まれた。美醜の基準の逆転、ジェンダーからの解放。ダサいからこそ素敵というタッキーというカテゴリを創り出す。

ファッション界の主流にあった、とりすましたアッパークラスの美男美女のイメージは、古くさく退屈なものになってしまった。(P.216)

スーザン・ソンタグを参照したキャンプ。

トム・フォード時代のグッチは繁栄と性的な快楽主義に彩られたセクシーでゴージャスな世界で、それはそれでビル・クリントンが大統領だったころの繁栄の時代にふさわしかった。一方、ミケーレのグッチは、旧社会のシステムや倫理が崩壊し、混迷する社会のなかで自分らしい自由を探す人々に支持され、個々の人の心に根差す真の意味での多様性社会を後押ししている。(P.218)


ファッション・デザイナーを主役にした映画の多いこと。それほどまでに、デザイナーの人生は数奇なのか。

華やかに見える業界、煌びやかなショーの裏で、プレッシャーに押しつぶされるデザイナー、そうした人間らしさ。ファッションだから、最後は人間に戻ってくる。人間ドラマとしてこの上なく面白い。それがファッション・デザイナー、ビジネスなのだろうか。

ありのままの現象としては誰も面白いとも美しいとも思わないファクト。そこにヴリーランドは目をつけ、大胆にファンタジーを加えて、艶やかなファクションに仕立て上げ、陽気に攻撃的に世に問い続けた。それによって、人々が熱に浮かされ、流行がグローバルに広がり、時代が加速していった。(P.266,267)







この記事が参加している募集

読書感想文

いただきましたサポートは美術館訪問や、研究のための書籍購入にあてます。