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考え続けるために、アートを学んだ 続き

前回からの続き

当たり前のことを当たり前と捉える。疑問に思わない。そこに疑いの眼を差し込む。洗練されたアートには、そうしたことが組み込まれている。


ビジネス界隈で語られている教訓に”茹でガエルの法則”という言葉があります。カエルはいきなり熱い湯に放り込んだら異変に気が付いて逃げ出すが、水の温度を徐々に上げていくと危険な温度になっているにも関わらず、気が付かずに茹って死んでしまうということ。外部環境が変化しているにも関わらず、その変化に気が付けず、市場から退場することになるという戒めです。実際にはカエルは異変を感じたらすぐに逃げるようですが、茹でガエルになるなという教訓は、変革プロジェクトにおいて、少なからず言われていました。しかしながら、最近は徐々に温度が上がるような変化ではなくなってしまったように思います。

『アート思考』の著者、秋元雄史氏は一流のアーティストを炭鉱のカナリアに例えています。野生の眼を持ち、世の変化をいち早く感じ取り、作品として表現するとしています。

コンサルタントは課題解決を請け負います。

いつの頃だったか企業が課題を見つけることが困難になってきた。課題解決から課題発見の相談の割合が増えてきたのです。

そうした課題発見にデザイン思考を活用する動きが出てきました。デザイン思考はデザイナーの考え方をビジネス・パーソンにインストールする方法論です。オフィス・ワーカーに付箋紙を持たせ、先入観を無くすレクリエーションを行い、自分をさらけ出し、レゴブロックなども使って様々なバックグラウンドを持った人達にアイデアを出してもらう。課題が存在する領域の解決案をワークショップ形式で考えます。デザイン思考には批判もありますが、新たな視点を得るためには有効なツールでしょう。

これは課題が存在する枠組みが決まっている際はうまく機能しますが、どのように枠組みを捉えるのかという点については向いていません。そもそもデザインはソリューションなのです。コンサルティングもソリューションです。どちらも課題を解決することに主眼を置いています。それに対してアートは問いを発します。

デザイン思考と同じようにアーティストの思考をビジネス・パーソンが流用できるようにできれば良いのですが、アーティストの数だけ思考があるように思えます。前回でも触れましたがアートの定義は困難であり、アーティストの数だけ存在するようにも思えてきます。恐らく一番早いアートの理解とは一流のアーティストを掘り下げることでしょう。私の場合はピエール・ユイグを掘り下げました。


ピエール・ユイグ論

フランス人の現代アーティスト、ピエール・ユイグは1962年生まれ、パリでアートを学びました。学生時代にリオタールの非物質展をフィリップ・パレーノとともに見て衝撃を受けたとしています。キャリア30年の記念、因果律に溝を作るとして2019年にロンドンのサーペンタイン・ギャラリーで回顧展を行いました。

ユイグの作品は難解です。1960年代に起こったコンセプチュアル・アートのようですが、アイデアを主体とした再結晶化はリオタールの提示した新たな世界「高度情報化」を表しているようにも思えます。

生物と無生物、人と人外、境界を疑うこと、誰に何を見せるかではなく、何を誰に見せるのか。フィクションがどのように形成され、文化となるのか、アイデンティティと権利の対立、時間をベースとしたアーティストと評されていますが、時間を超越したかのような作品も提示します。数々の賞を受賞し、作品はLVMHもコレクションしています。

ピエール・ユイグ研究にあたりドイツ、フランスの思想、哲学を整理し、フランス人アーティストが、どのようなことを考えているのかを考察しましたが、彼の作品を深く読み込むと、アニミズムに突き当たりました。また、日本との関係も少なからずあります。

日本のアニメキャラクターをモチーフにしたアンリーのプロジェクト。キャリアのスタート時に日本で紹介されました。アンリーはアニメの脇役キャラクターとして作られ、秋葉原で5万円ほどでアーティストに買い上げられました。コードのみが与えられ、名前もなく、数コマの寿命のみだったキャラクター。そのキャラクターをアーティストに貸し出して様々な表現を行いました。展覧会として世界中で提示され、展覧会を丸ごとオランダの美術館とコレクターがコレクションしています。

アンリーのプロジェクトの展示は『No Ghost Just a Shell』と呼称されました。これは『GHOST IN THE SHELL / 攻殻機動隊』から取られています。1995年公開の日本のアニメ映画はマトリックスの誕生にも影響を与えたことは有名ですが、ピエール・ユイグも影響を受けた一人だったようです。

攻殻機動隊の主人公草薙素子は義体と呼ばれる機械化された体を持ちます。人の意識が機械に宿る。草薙素子には溢れ出るほどの物語がありますが、アンリーには何もありません。その空っぽのShell(体)の中に、何を埋め込めばいいのか、アンリーを提供されたアーティストは、それぞれの解釈でアンリーを表現しました。

アイデンティティの表現は、ユイグの主要なテーマのひとつになりました。映像作品《無題(HUMAN MASK)》は、19分程の映像作品です。福島の廃墟になった居酒屋で仮面を被ったドレスを着た猿が動き回ります。人が居なくなった場所で、一見すると少女のような猿が歩き回る姿は、鑑賞者に意味を求める行為を無効化します。どうしようもなく退廃的ですが、無表情な仮面とアンバランスにドレスを着た小さな体から、目が離せなくなります。人間と自然との対比がグラデーションを持ちつつも、コントラストを持って対比させられているのです。

アイデンティティとは自分の内にあるように思えますが、実は他人が自分を認識するもの、自分らしいと思っているのは自分の周りに散りばめられており、対面する他者によって相対的に決定されているのかもしれません。

《Celebration Park》で提示したもの。フランスで歌手が自分の歌を歌うことができなくなったエピソードがあります。著作権により制限されてしまったようですが、その歌声はみんなが知っていて、タイトルを提示されると頭の中で音楽が流れます。みんなの記憶の中にある歌、これは文化と捉えることができますが、その文化を権利によって制限することができてしまう。そうした状況、権利とは何か、文化とは何かという問いかけがあったのでしょう。

ピエール・ユイグは、岡山芸術交流2019のアーティスティック・ディレクターとして参画しました。トップ・アーティストが岡山の中心地に作品を提示し、共鳴しました。交流人口は30万人を超えました。

ここでピエール・ユイグが提示したのは、京都大学の神谷研究室から提供された人工知能が生成した人の夢の画像です。旧内山下小学校の校庭に設置された巨大なパネルにモンスターのような獣のような顔が浮かびあがります。パラパラ漫画のような画像の切り替えがあり、徐々にモンスターの様相が変化していきます。見る時間によって変化していき、二度と同じ画面になることはないようです。

これは夢を見ている人の脳波をスキャンして、その脳波の形から認識している画像を再構築する試みです。現在の人工知能は機械学習と呼ばれる仕組みで、大量のデータに基づく推計になります。人に画像を見せて、その時の脳波を計測し、画像と脳波の関係を人工知能に学習させるのです。十分な数を学習させると脳波から、人が今何を見ている(と脳が認識している)のかを知ることができるのではないか、そうした研究です。

ユイグの作品は実験映像そのものに見えますが、廃校になった小学校を訪れる鑑賞者のフィードバックを受けて変化していくということでした。

同じ映像は冒頭のサーペンタインギャラリーでも《UUmwelt》として提示されていました。人とハエに映像を見せて、来場者からも影響を受け、生成される映像が変化していくというものです。

Umweltはヤーコブ・フォン・ユクスキュルが提唱した生物学の概念です。日本語では環世界と訳されています。ある種が持つ知覚世界のことを表しています。ユイグは作品《Umwelt》で、ギャラリーに蟻と蜘蛛を放ちました。蟻はコミュニティを作り、蜘蛛は単独で行動すると認識されていますが、そうしたラベリングは人によるものであり、所詮彼らの環世界は想像でしかないということを示していました。これに"U"を重ねました。このUは、反転を意味するUn-であり、人とハエの環世界をセンサーによって可視化したら、全て分かり合えるのではないか。今西錦司の言う客船の着想のようです。全ての船客がセンサーで分かり合える世界とはどのようなものなのか、想像が膨らみます。

福岡県の太宰府天満宮は現代アートの作品が境内に提示されています。ライアン・ガンダーは、新道とコンセプチュアル・アートはたくさんの共通点がある気がついたそうです。


アートとビジネスと

アートが持つ特性の一つにカウンターがあります。美術館の中に提示されればアート作品なのか、そうした疑問からアートは美術館を飛び出しました。絵画や彫刻からも超越し、限界を探るかのような作品が提示されています。

これはアートに限った着想ではないでしょう。前提を疑い、その前提を取り払ったときに、それは成立するのか、あなたのビジネスについて、このような思考実験をしてみる。例えばアーティストとのダイアローグを従業員と行うということが考えられます。

ダボス会議に現代アーティストのオラファー・エリアソンが招待されました。世界のリーダーが集う会議で、リーダーの思考の柔軟体操を促しました。

アートも産業と呼べるような構造になっています。世界で約7兆円の市場を持ち、アートフェアには富豪がプライベートジェットで駆けつけます。作品の価値生成、顧客ロイヤリティの醸成、マーケティングはリアルに秘密主義的に行われてきました。この状況が長く続くかと思われましたが、コロナ禍によるロックダウンは、アート産業にも降り掛かりました。強制的なデジタルシフトです。

デジタル・ディスラプター、デジタルを使った新興企業あるいは他業種からの参入により、その業界が駆逐されてしまうことです。アート・ワールドは現在進行形でデジタル化の波にさらされています。例えばNFTの勃興と伸長が挙げられるでしょう。

カオスの様相を呈していますが、新しい何かが出現するときには、往々にしてそのような状況が現れます。

デジタル空間にまで拡張したアートが、それまでのアートを過去のものにするのか、ひとつのメディウムとするのか。今後数年は、そうしたダイナミズムを見ることができるでしょう。


いただきましたサポートは美術館訪問や、研究のための書籍購入にあてます。