アンラーニング ランゲージ
2022年11月にYCAMで見たアンラーニング ランゲージについてWIREDで記事が公開されていた。改めて振り返っておきたい。ローレン・リー・マッカーシーとカイル・マクドナルドのインタビュー
Googleや、Facebookに監視されていると言ったら、「なぜ?」と思うかもしれない。
検索する人は、何らかの購買ニーズを持っているのではないか?そうした仮説から検索結果に広告掲載スペースを作り、新たな市場を作った。ビジネススクールでは、顧客ニーズ(検索者と広告出稿者の両方)と市場の創生として扱われそうな感じ。そして、インターネットはマッチングを効果的に実施できることも実証した。
広告主が広告の効果を見ながら、自社の潜在顧客に効率的にアプローチできる。なぜ、潜在顧客なのかといえば、購買に至る手前の検索ユーザーの行動から、ある程度購買するタイミングを推測することができる。
アルゴリズムによって、購買へと誘われる。
このアルゴリズムを磨くために、日々の検索が使われれる。何に興味があって、何を読んで、どのように過ごしているのか。ビッグデータと呼ばれるデータ収集が、消費者を細かく細分し、物理世界での消費活動以上に、ネットの時間を消費させている。
カメラはスマートフォンに搭載されて、誰でもが持ち歩くようになったけれど、それによってカメラそのものが安価になり、今まで以上に普及のハードルが下がったと思う。
認証(ログイン)で一般的なのは、ユーザーID(メールアドレス)とパスワードだと思うが、歩行によって個人を特定することもできる。
認証技術としては、生体(虹彩、指紋、顔、声紋など)認証や、ワンタイムパスワード(SMS、メールなどで送られてくる数桁の数字)などもある。
フーコーのパノプティコンが、デジタルによって完成したと見ることができるだろうか。
他人の気持ちなんてわからない。相手をよく見ることで、話をすることで、相手を知ろうとする。
現在の機械学習も同じ理屈なんだけど、呼吸をし、毛穴がある生体ならではのコミュニケーションとは何か、そうした人間性を取り戻す試みなのかもしれない。
こうした世の中は便利でいいかもしれない。あれが、欲しいなと思ったら目の前に出てくる。退屈だったら、新しいエンタメが提案されてくる。そうした世界。成仏の境地かもしれない。ただ、過学習の記事でも見たように、予測できない世界で、予測可能性を減退させているのも事実だろう。危機感の欠如というか、結論へのショートカットが起こっている。
啓蒙という暴力的な行為、そうして予測不可能になった世界の末路が示されているようにも、今なら思える。
いただきましたサポートは美術館訪問や、研究のための書籍購入にあてます。