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アート | ビジネス思考

社会人向け大学院に通い始めた当初は仕事に関連付けようとは思っていなかった。MFA(Master of Fine Arts)が取得できればいいだろう、それくらいに考えていた。このあたりのことについては、次のnoteにまとめた。

ところが、最近は現代アートの研究(修士論文の執筆経験)が仕事に役立っていると感じる。直接的ではないにしろ、アートを言葉で説明するということがビジネススキルと密接に関連しているように思う。

アートの研究が、仕事の何に役に立つのか?

日常生活、世間には様々な要素がある。例えば副業のひとつファッション・アパレル業界のコンサルティングに目を向けても、日常とは切り離せない。ファッションは時代を映す鏡とも言える。飲食ビジネスにしても必要最低限の生命維持を越えた様々な様式や、エンタメとしての提案があるし、大勢の人は、それを享受している。こうした日常と生活要素との関わりは文化と言い換えてもいいのかもしれない。ここでアート研究の話と繋がる。現代アートの作家が感じる世間や時代性は、流行やエンターテインメントとは一線を画すかのようである。現代アートの洗練された作品を見るとき、捉え所のない現代を捕まえて表現するかのような感動をみることがある。そうした鑑賞体験は言葉、解釈を呼び起こしてくれる。目の前に提示された難解な作品に入るとき、それを言語化しようとして脳が活性化する。それを伝える言葉を考えたとき、ビジネスの提案でも同様なことが言えるだろうと気が付く。

修士は研究者の入門という話を聞いたことがある。研究の方法を身に着けるための期間という。あるいは博士までは大変なので、中間ゴールとして設定される。そんな話も聞いたことがある。ただ、修士課程での学び、ものごとの捉え方はビジネスでも実践的なスキルとして役に立つと考える。

本業のソフトウェア企業の話、特に消費者向けビジネスのソフトウェア部門で働いていると、社会を捉えるような洞察が求められる。もちろん、その洞察の仮説検証は提案先のクライアントが確かめなくてはならないが、提案の際に投げかける問いは、クライアントに響いている手応えを感じる。

目で見たことを言葉にする。アート・ライティングがポイントだろうか。

書き言葉と話し言葉。書くことはこのnoteで実践してきた。これを話すとなると、また違った実践が必要になってくる。作家や、ゼミ仲間との様々な対話が実践だろう。大学院のもうひとつの効用はゼミ仲間との議論である。

さて、ビジネス思考とは何だろうか。事業をつくること、端的に言えば、「継続的に収益を上げていくこと」だが、継続的にというのが難しい。事業の形を変えなければ継続していくことはできない。リバイバルしているが現代においてレコード針の販売で事業を継続していくことは難しい。あるいは今からMDメディアを製造する事業を起こしても、失敗は明らかである。同時代に生きる人々と仕事、商品・サービスと事業、これらのバランスだろうか。サービスの時代と言われるが商品が売れなくなったわけじゃない。

モノが売れない時代のサービス・デザインとしては、ビジネス・モデル・キャンバスが流行したが、2022年は紹介された当時ほどの魅力は発していないように感じる。みんな飽きてしまったのかな。もしくはSWOT分析のように定着したのかもしれない。


流行について考える。広告代理店でもない限り、ヒットを飛ばすという意識は少なくていいと思う。連続ヒットとすると社内の覚えもいいだろうけど、それでは息切れしてしまう。マーケターがニーズ、シーズ、ウォンツなどを探しているうちに、対象を見失ってしまうようなものだろうか。

アートを研究したことで得られたセルフリフレクション、瞑想とは違った方法だと考える。作品と対峙した時に、作品と自分との間、自分自身との対話が輻輳し、普段考えている事や、世の中の変化に敏感になれる。

こうしたアートとビジネスの関連性は、アートの専門教育を受けることなく企業において商業としての経験を重ねたことで得られたことのように思える。商業という観点から見ると、アート・ビジネスに携わっていた人達とも違った感覚だと想像する。僕の場合、ソフトウェアプログラマとしてキャリアをスタートさせたことも特殊な事情をもたらしたように思う。

アート思考。アートとビジネスは全く異なるという指摘もあるが、そんなことはないと思う。ただ、関係性を説明するのがとても難しいし、即興的な効果はないだろう。

簡単な処方箋を求めるような向きがビジネスにあり、アートとしてはビジネスから距離を取ろうとする向きがある。しかしながら、アートのビジネスも伸長している。


一人として同じキャリアは無いように、いわゆるビジネスパーソンといったラベル付けは危険だろう、同様に現代美術作家あるいは現代美術アーティストといったラベリングも危険だと思う。

アートを通して学んだ両義性はビジネスで学んだ狡猾さとは違ったサバイバルの方法を教えてくれた。一朝一夕で身につくものではないけれど、だからこそ人生の時間を割いて研究する価値があると思う。それが本業、副業にも役に立つのだからラッキーだった。


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Tsutomu Saito
いただきましたサポートは美術館訪問や、研究のための書籍購入にあてます。