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生きる意味も価値もなんもない

特別な人を見て、特別にならないといけないような気がしてしまうことがある。
夢や目標に向かって頑張っている人を見て、そうしなくてはいけないような。
血の滲むような努力をしなければいけないような。
何か意味を持って生きなければならないような。
けれど、そんなことはない。

特別な何かが一つもない自分だからといってダメなことはない。
やりたいことがないからといってダメなことはない。
何もやりたいことがないならそれでいい。

というか、やりたいことがないというのは本当だろうか?

牛丼食べたいとか、スイーツ食べたいとか、ゲームしたいとか、疲れたから休みたいとか寝たいとか。
それをやりたいことに含めるのはダメなんだろうか?

自分は特別じゃないと思うのは本当だろうか?

テレビに出てなければ特別じゃない?
賞を獲らなければ特別じゃない?
ありふれた日常だから特別じゃない?
けれど、全く同じ人生は一つもないわけで。
それは全ての人生が特別であるということにしてはいけないのだろうか?

ダメだとしたら何がダメなんだろう。
小さいことだからダメ?
夢っぽくないからダメ?
そんなことはない。

やりたいことがない。
生きてる意味がわからない。
特別にはなれない。
そうやってないものばかり見るくらいなら、どれだけ小さくてもあるものを見てそれを少しでも楽しむ方がよっぽど有意義だ。

テキトーに作った味噌汁がめちゃくちゃ美味しくて感動したり、食べ切れず残ったそれをまた食べたくて、次のご飯を楽しみにしたり。
ちょっと高めのスイーツ買って、お気に入りの皿に盛り付けてみたり、紅茶を用意してみたり。

意味なんてなくていい。価値もなくていい。
暇なら考えればいいけれど、そんな事する間に美味しいものの美味しさを噛み締めて、風呂の温かさにサイコーと感嘆の息を漏らし、ぐっすり眠った方がずいぶん幸せだ。
そんな幸せな1日、いつかの瞬間に感じた感情は、紛れもなく自分だけのもので特別なはずだ。

好きなものがあるならそれをただ好きでいればいい。
応援したい人がいるなら全力で応援すればいい。
行きたいお店があるなら一つずつ行ってみればいい。
どうにも苦しくて行きたくない場所があるなら行かなくていい。

もし生きることに意味があるというのなら、それこそが意味だ。

自分を大事にするのも価値があるとするのも自分で決められる。
特別も自分で決められる。

生きるのをつまんなくするのは自分次第。
けれど、そうならば、楽しくするのも自分次第。
なら、今日、何をする?

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