Polaris Hand
タロットをモチーフにしたショートストーリー
自分を鼓舞する時などの私なりの考え方
僕はルーレットの前にいた 大きなルーレットは、止まることなく回っている 美しい女神様が言う あなたはどうするの? 何を賭ける? 何も賭けない? 好きな方を選びなさい 僕の直感が囁くように 溢れ出す情熱を女神様に差し出した 僕にできることは全てやりました あとは、運命を掴むだけ 『今だ今だ』と囁く 僕の声に賭ける 僕はルーレットに飛び乗った さあ、賭けよう 僕の人生の全てを 賭けた者だけに女神様は微笑む 10 運命の輪 転換期/幸運到来/予想外の好機/運命的な
先日、ビジュアルシンカーという言葉を知った。 物事を考える時、言葉ではなく絵で物事を考える人のことだそうだ。 日本語で言えば視覚思考者である。 他に、言語で思考する言語思考者がいるらしい。 私は絵というか、映像で思考する方だ。 本を読めば脳内に映画やアニメが上映され、曲を聞けばMVが出来上がる。 それはそれとして、この思考の違いの問題は『世の中の構造が言語思考者に優位にできている』という点。 なんだって。 言われてみれば、感情も考えも状況説明も、全て言葉にして伝えなけれ
僕は暗い霧の中 灰色のおじいさんに出会った ここまで進んで来た君に 私の知恵を授けよう 君ならきっと繋いでいける それはとても嬉しいけれど 僕はまだまだ未熟です できないことも、嫌なことも まだまだいっぱいあるのです 僕がそう答えると おじいさんは首を振った 君はまだ君を知らない 目を閉じて、覗き込むのだ 君の心の深い底を 君だけが知る君を 君が沈めてしまった君を 僕はそっと目を閉じて 心の中を覗き込む いつか感じた温もりや いつか知った喜びを いつか感じた寂しさ
本業が1ヶ月と少しほどの休みで、最近は好きなことや今までやりたかったことをして過ごしていた。 こんな長期で好きなことが出来るのだ。 だから毎日楽しい、はずなのだが……。 そんな生活を続けて3週間ほどだったか、なんだか気分が落ち込み始めた。 作業中はそうでもないのだが、起きた後、ご飯中、お風呂や寝る前に、虚無感というか何というか、力がでない感覚が続いていた。 最近は食事もまともなものに見直して、栄養は人生で一番まともにとれている。 眠りにつくのは夜中過ぎにこそなれど、朝はゆ
僕は一匹の獣と出会った 僕らどっちもボロボロだ 君は何を言われたの? 君は何をされたの? こんなにボロボロになるまで 暗闇がどこまで続くのかわからないけれど この悔しさも、この傷も 僕らは力に変えてしまおう ダイヤのように硬く強い力に 大丈夫、絶対に また立ち上がれる 信じよう 僕らの底に眠る力を さあ、何度でも立ち上がれ ただ、自身であるために 8力 強固な意志/不撓不屈/理性/知性/潜在能力/忍耐/崇高な愛 どんな力も使い方次第で悪になる。 でも、使い方次第で
行動力と言えば、ポジティブなイメージが強いように思う。 例えば新しいことに挑戦してみたりだとか。 だから自分は行動力がないと思う人が多いのではないだろうか。 私も私自身行動力がないと思っていた。 けれど、私にないのはどちらかというとポジティブな行動力で、ぱっと見ネガティブな行動力はなかなかある。 要は、嫌なことから逃げる行動力。 私は昔から嫌なことからよく逃げる。 だって嫌だし、といった理由で。 あまりにも授業での発表が嫌だったときはなんとかしてズル休みをしたり、講義
僕は険しい山を目指していた 暗闇の中 一際大きく光るポラリスは 僕が目指す場所の星 暗闇の中で聞こえるのは 僕を笑う笑い声 みっともないと笑う声 無理だ無理だと笑う声 辿り着けなかったらどうしよう? 思っていた場所と違ったら? もう諦めてしまおうか? 輝く星がぼやけて見える 考えれば考えるほど 僕の足は止まっていく どうしようもなくなって 僕は僕に尋ねてみた 僕の望みは何なのか 僕はどうしたいのか 僕はあの星がいい あの美しい星がいい たとえそれが、思っていたもの
世の中には色んな呪いがある。 何歳を超えたら行き遅れ。何か問題がある人。 おばさんは、おじさんはああだこうだ。 若いうちはこうしなければ、ああしなければ。 可愛くないから、格好よくないから。 あの人は天才、自分は凡人だから。 あの人は運がいいだけ、自分はそうじゃないから不幸から抜け出せない。 ああ、本当にダラダラと。ウジウジと。 常日頃から、どこにあるかもわからないような呪いをかけ続ける。 私もやる。 きっかけは些細な一言かもしれない。 親、友人、世間の些細な一言。 でも
スマホ見ながらダラダラ歩く人、端でもなく真ん中でもなく中途半端なところを歩く人が邪魔だった。 その日は土日で、ただでさえ人が多いのに気が利かないというかなんというか、とにかくイラついた。 そんな日の夜のこと。 とある配信者のライブで、品出しをしている店員が邪魔で商品が見れなかった。自分に気付いているはずなのに退いてくれなくて、気が利かない人にイライラしたというコメントがあった。 今日私も、気が利かねえなとイライラしたな。 なんて思い出しながら聴いていれば、その配信者は事実
僕は新しい街を知り、大好きになった そんなある日、街の端っこで 珍しい髪色をした女の子に出会った どうしてこんなところにいるの? 僕は優しく尋ねた 私は普通とは違うから ずっと嫌われてきたの この街でもきっと受け入れてもらえない 女の子はそう言った 僕は知っている 人を笑う人がいることを 馬鹿にする人がいること けれど、僕は知っている 魔物と人が話し合えることを 他者を尊重し受け入れれば 他者もまた受け入れてくれることを 愛が溢れる場所があることを知っている
僕は船に乗って 初めての街を訪れた その街はキラキラで 初めて見るものがいっぱいだった 僕は街の人たちに挨拶をした すると、街の人が突然大声で怒鳴りだした 僕は怖くなって、街の端に逃げ込んだ そんな街の端っこで、十字架を持つ人に出会った どうしてこんなところにいるんだい? その人が優しく僕に尋ねた ここはとても怖い街だから そう言うと、その人は微笑んで言った 怖いと思うのは、君がこの街を知らないからだ この街の皆が、平和に暮らすためのルールを 他者を受け入れるため
いつだったか、少し前のこと。 電車に乗って流れる景色を眺めていたとき、ふと、「ああ、豊かだな」と思ったことがある。 都会らしく所狭しと並ぶビルの数々、看板、橋、線路、駅、整備された草花。 そんなものを眺めながら、そんなことを思った。 正直、思った瞬間になんで?ってなったけれど、よくよく考えてみれば当たり前のことだった。 ビルも看板も橋も線路も駅も草花も、想像もつかないほどの人が関わってできている。 建てた人はもちろんのこと、企画をした人、設計やデザインをした人、塗装、も
誕生日は親に感謝する日。 小学校の時、講演に来たとても有名な作詞家さんが言っていた。産んでくれたことに感謝するのだと。親孝行をしなさいと。 いやはや素晴らしい。ええ、素晴らしいとも。 聖人君子。いいじゃないか。 何気なく投げられた一言が悲しかろうが、親の考え方が自分にとってはとんでもなく窮屈だろうが感謝感謝。 それができない私はダメなのか?まったくうるさいオヤジだ。なんて、クソガキなことを思った記憶がある。 まあそんなクソガキも大人になり、自分は自分で変えられると気付き始
僕は杖でできた船に乗って 海の向こうを見たかった けれど、空は大雨で 荒れる波が僕を恐怖で飲み込んだ そんな僕に、王冠を被ったおじさんが言った 感情はとても大切なものだ 恐怖は君を守るために 怒りは君の大切を知るために 喜びは君を導くために けれど、それだけでは皆の命は守れない 上に立つものは、感情だけで動いてはならない 恐怖に怯えていれば、民は守れない 怒りに任せてしまえば、大切なものを失う 喜びを欲張ってしまえば、後には誰もついてこない 感情は正しく支配せねば
誰も理解してくれないのは結構しんどい。 そんな状態が続けば、人と関わるのも億劫になる。 でも、理解者が一人でもいれば、それは大きな救いになる。 そうは分かっていても、理解してくれる人を見つけ出すなんてそう簡単にできることじゃない。 ならば、自分が理解者になるのはどうだろう。 自分が自分の一番の理解者になる。 自分のことくらい、もうすでに理解しているって? 本当にそうだろうか。 私はまだまだ分からないことだらけだなと最近よく思うようになった。 私は捻くれ者の気がある。 だ
ネガティブな人は想像力が豊か。 そんな話を聞いて、ひどく納得した。 ああ、だから芸術家や作家なんかはネガティブな人が多いんだなと。 想像力がなければ、見えもしない幽霊は怖いはずもなく、 言葉の裏側を読み取ろうとすることもなく、笑顔は笑顔以外には見えない。 だからといって、ネガティブに働いた想像力をすぐに消すことも、いきなりポジティブに持っていくことも難しい。 でもどうせネガティブになるのなら、存分に変な方に働かせるのはどうだろう。 ああ、大事な仕事、失敗したらどうしよう