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『自由な学校』の上映会に参加しての感想①――自由とは何か?という問いを抱いて #056

3/20に映画『自由な学校』の上映会に参加してきました。

鑑賞してから10日ほど経っているにもかかわらず、まだ上映会で受け取った たくさんのものを自分の中でうまく消化しきれずにいます。胸の真ん中で、輪郭すら辿れないゆらゆらしているモノがあります。

ただ、それらも含めたうえで、今の自分の気持ちを忘れないように、言葉にして残してみようと思います。

『自由な学校』を知ったきっかけ

10年くらい前に伊勢達郎さんのワークショップに参加して以来、トエックの『自由な学校』の存在を知ってずっと気になっていました。

*自然スクール トエック 自由な学校

 徳島県阿南市にある NPO法人自然スクールトエックは、田んぼと畑に囲まれた幼児フリースクールと「自由な学校」というオルタナティブスクールを運営している。

 ここでは一般的な学校のような時間割はなく、教科書を開いて授業も行わない。今日1日をどう過ごすのか、自分で決め、自分で1日をデザインする学校だ。

 その「やりたいこと」に耳を傾けてサポートするスタッフや仲間たちと自由な時間を過ごす。鬼ごっこや缶蹴り、キャンプ、縫い物、読書など。めいっぱい楽しむその遊びの中で、自分たちなりの学びを深めてゆく場所。

『自由な学校』パンフレットより引用

その『自由な学校』を舞台にした作品が、今回広島で初上映されるとのこと。しかも、撮影・監督したのは自由な学校 卒業生の齋藤千夏さん。

 この作品は、映像作家でもない、「自由な学校」の一卒業生というだけの私が、誰かに伝えるためではなく、私の「知りたい」という気持ちと「今のトエックを残しておきたい」という想いで撮影した最初で最後の作品。

 友人の声に耳を傾けるように、「聴く」ように観てくれたら嬉しいです。

『自由な学校』パンフレットより引用

作品の紹介文を読んで、「あ、観たいな」と直感的に思いました。飾らずに、そのままで、とても大切に扱われているのが、文章から滲み出ているのを感じました。

実際に会場で映像を流す前に、先に齋藤さんが登壇されて、撮影しようと思ったきっかけや作品についての想いについて話してくれました。

とても丁寧に届けようとしてくれている。パンフレットにも書いてあったように“友人の声に耳を傾けるように、「聴く」ように観よう”と思ったのでした。

この上映会に参加しようと思った理由

現在、私が2児(7歳&2歳)の子育てをしながら、疑問に思うようになったこと――それは「自由」とはどういうことだろう?ということでした。

昨年娘が地元の公立小学校に入学してからは、よく感じるようになりました。

「どうして制服を着ていくの?」
「どうしてヘアゴムは紺色か黒色なの?」
「どうして靴は白色なの?」
「どうして宿題をするの?」
「どうして学校へ行くの?」

毎日毎日、「どうして?」を娘にいっぱい質問されました。もちろん、それらの質問に対して「そういうルールだから」と無碍に返すのではなく、自分なりに考えながら、できるだけ丁寧にこたえるように心掛けていました。

ただ、私も明確な〝正解〟を持っているわけではありません。「どうしてだろうね?お母さんもよくわからないんだけど。こうじゃないかな?あなたはどう思う?」というやりとりをよくしていました。

おそらく「どうして?」という疑問は、娘の中で納得できるこたえは見つからないままに、くすぶり続けていると思います。でも、今は学校生活にも“慣れた”ので普段あえて言葉にすることも少なくなりました(それが良いことなのか、私の中で今も自問自答していますが)。

私は、子どもには子どもらしい(大人になるための準備をするのではない)幸せな子ども時代を送ってほしいと願っています。そのために、子どもが自由であることが、とても大切だと考えています。

ただ一方で、
制服がないことが自由なのか?
時間割がないことが自由なのか?
宿題がないことが自由なのか?

という疑問もありました。

自由とはいったいどういうことなのか――それについてこの機会に考えたいと思っていました。

自由の土台を成すもの

自由な学校の1日は、全員が集まってモーニングミーティングと呼ばれる、話し合いから始まるそうです。

テーマは、下記の三つ。
・話したいこと
・困っていること
・やりたいこと

そのうえで、今日1日どう過ごすかの計画を立てるそうです。

今思えば、最初のこの光景に『自由な学校』のあり方が凝縮されていたのかもしれません。

子どもたちが、それぞれに自分のことをたっぷり話をする。
それをみんながじっくり聴いている。

そして、おそらく、話したくないことは話さなくていい、というのもその場に含まれているんじゃないかなと思いました。

というのも、上映会のあとに3~4人くらいの少人数のグループになって、映画を観て思ったことを自由に話す時間がありました。そこで、齋藤さんが「話したくない人は、話さなくて大丈夫です。聴くだけでもいいです。」とおっしゃっていて、話さない自由すらも大切に守られているなぁと思いました。

そこには工場のようにオートメーション化されて図られたコミュニケーションではなく、一人ひとりの心のあり方を認めようとする有機的なコミュニケーションがあるように感じました。

同様に印象的だったのが、映画の場面の中で、卒業を前にした6年生(5人)だけでキャンプをしようというイベントでのこと。最後のキャンプ、しかもごはんも自分たちで準備してともに過ごす特別な時間。当たり前のようにみんなが参加するのかな?と思ったら、1人の子は泊まらないことを希望して、日帰りにしました。

きっと他の子は「一緒に泊まろうよ」と声をかけたとは思いますが、でも決して無理強いはしない。「泊まらない」という選択も、それを決めた子の気持ちも、自然に受け入れて認めているのが印象的でした。

きっとモーニングミーティングの中でも、自由な学校の日常の中でも、そんなふうに子どもたちの心が自然に、優しく、大切に認められている。だからこそ「本当にやりたいこと」が言えるんじゃないかと思いました。

本来やりたいことを言うのは、すごく勇気がいること。自分が否定されるんじゃないかと恐れを抱いてしまうから。それを素直に話せる安全な場こそが、自由の土台になっているんだなぁと私は感じました。

②に続きます。

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