旅で見る生活の品・バルセロナ_1
バルセロナひとり旅の途中、ミロ美術館への道すがらにとてもよい博物館を見つけてしまいました。
建築は六角形平面の組み合わせによる構成。入り口を入るとプレキャスト天井のなす規則的でいてムラのある、無骨な感じがとてもよい。
ほとんどお客さんはおらず、学生用のチケットを買って中へ。
まずは一階、展示室ではスタッフ二人が何か楽しそうに話していた。
六角形のでっぱりで出窓、その脇にベンチを作りながらところどころに展示棚がくるという、のんびりした構成。展示のキャプションを読むのに疲れると、目を窓の外にずらし、丘の上からの街の遠景をぼんやり眺めたり。
単純だけどこの場所だからできる豊かな構成だな、と思っていたら、途中で、窓からみえる景色についてのキャプションがついていた。
長い歴史が根付き、多様な人々が暮らす、バルセロナ。
民俗学が(そのような多様さを持ちつつも場所によりつながっている)「私たち」に対してとっている姿勢と、この展示において示されている事物から「私たち」が考えるであろう/べきこと、つまり他の文化や歴史との比較といった観点が、ぽろりと示されている。
一枚の窓の横にそれとなく民俗学・またその展示の意義を示す姿勢、そんな窓の外に見える街を眺めながらバルセロナの「私たち」というまとまりが持つ歴史やそこからつながる今の日常について考えさせるしかけ、なんて粋なんだろう。
展示は、テーマをもったモノの収集からその時代を読み解くもの、漁業や製鉄など産業ごとに道具を展示するもの、そんなカテゴリには入らないしカタルーニャのものだけではないのだけど「人の営み」が垣間見えるモノの集合体の展示、など。モノそのものも、どれも独特かつきれいで、沢山見入ってしまった。
とある展示のパートには、こんなパラグラフがついていた。
キャプションとか載せたらいけないのかもしれないので、もしかしたら消してしまうかもですが。
民藝館やこうした博物館、骨董市蚤の市が大好きな私の気持ちをこの文章や展示が肯定してくれているようでうれしい。
そしておそらく公立のこの博物館に、こんなにみずみずしい一人称のパラグラフが出発点の、こんなにも愛にあふれた展示があるのか、というそのことに心動かされる。
先ほどの窓の話も含め、あたりまえだけど公の博物館といっても人が展示をつくっているのであって、彼/らの手垢のようなものがこの博物館の展示にはどこにでも色濃くついていたように思う。
そんな人間味あふれる「愛」は、たしかに人の営みを語るうえで説得力となっていた。
これで一階の展示は終わり、地下にむかう。
地下は収蔵庫になっているのだけど、最近になって公開を始めたよう。ここもまた、驚きだった。
モノが所狭しと並べられた空間は夢のようだった。
国も地域もばらばらの「素材」による独特な分類・陳列方法。不思議だな、と思いつつも見ていて本当におもしろく、地域ごとのモノの性格の違いが勉強になる。
最後のほうになって、この展示方法やその意義についても説明があったのだった。
素材による分類は収蔵庫を公開するうえで環境によるモノの劣化を防ぐためのものであり、環境へのモノの耐久性を鑑みて配置計画がされている(例えば光による劣化の予想される布は窓から遠くしてあったりする)とのこと。
日本とカタルーニャのモノが並列に存在するということ、それが「素材」というカテゴリのみによって分類され、素材の環境への強度を鑑みて窓からの遠さや温湿度というパラメタのもとで配置されているということ。
展示計画を練り、そのストーリーに則った動線を生み出し、それに沿って物を置くために環境を変える、ということとは全く違うある種潔い分類と陳列の方法に、鑑賞者主体ではないモノとプロフェッショナルとの直接的な対話を垣間見た気がして、ハッとさせられた。
外に出ると、柔らかくも強い風と太陽、そしてバルセロナの街が遠くに霞んでいた。
博物館の看板や外壁のレリーフも「民のためのモノ」に感じられ、とても良かったな。
ここまで長く語ってしまいました。
そんなに暑くない晴れた日に、のんびり丘を散歩しながら訪問するのがおすすめです。
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