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齋藤芽生の新シリーズ『最涯商店』を観て、私の『最涯商店』を開店したくなった

さいはてしょうてん………。ひっそりと声に出してみたくなるのではないだろうか?

虚構の様々な商店が描かれた齋藤芽生(めお)の新作絵画シリーズのタイトルだ。この作家は花や団地窓をモチーフにしたシリーズをまるで図鑑のように多様に展開しているのが特徴的だ。『最涯商店』 シリーズでも様々な商店が登場することだろう。その新作8点が東京の乃木坂にあるギャラリー・アンリミテッドで公開されている(9/12日〜10/17)。

各作品タイトルは《寝乱麗美容院》、《深山幽谷不動産》、《赫赫堂火球店》、《洋菓子船波瀾丸》、《迷者不問Q憩室》、《海の家ゆくなつ》など。ご推察の通り、齋藤芽生の絵画には文学的なタイトルがつく。また、絵画横には詩情溢れる文章が添えられている。『最涯商店』に添えられた文章はこちらだ。

さいはての地に佇むあの商店では何が売られているのか。閑散としていてもシャッターが閉ざされることはない。人の気配の無い町で虚ろな口を開ける店構え。侘しい風景に漏れ出る青や赤の灯火。奇妙な衣料や薬品や菓子たちが黙って棚で時を待つ。いつか何かの目的で、密かに誰かを満たすために…。

この文章のイメージは、緊急事態宣言下に見た閑散とした商店街の風景と重なる。また一方で、自宅に閉ざされることによってむしろ自ら内側のシャッターは開き、noteで書くことや日課の刺繍を始め、密かに自らを満たすための試みを続ける私自身の心象風景にも重なる気がした。

さて、ギャラリーで撮影させていただいた新作絵画の写真をいくつか紹介しよう。※実物とは異なるお見苦しい点はご容赦いただきたい。

《寝乱麗美容院》

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《深山幽谷不動産》

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《赫赫堂火球店》

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《海の家ゆくなつ》

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《洋菓子船波瀾丸》

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ふらりと立ち寄ってみたいお店は見つかっただろうか? 私は森を売ってるお店に行ってみたい。コロナ渦にますます森を渇望していたところなのだ。

ところで、齋藤芽生といえば2009年に国立新美術館で開催された「アーティスト・ファイル2009-現代の作家たち」で初めてその細密絵画と詩情豊かな世界観に触れ一気にファンになった。花や団地窓をモチーフにシリーズ展開した作品群は質量が圧巻だった。血のような赤色や脳細胞にような線描に直接的に心を揺さぶられ、添えられた文章には虚実入り混じる情念世界へとすんなり誘われた。

おすすめ画集はこちら。

今回気がついたが、齋藤芽生は「涯(はて)」という言葉が好きなようだ。2009年の展覧会に展示されていた団地窓をモチーフにした『晒野団地入居案内』シリーズでも、涯(はて)という言葉が使われていた。

涯(はて)の駅は山に囲まれて寒く、冬風もそこに吹き溜まる。終点の街から更に高い丘まで上がるバスがある。虚しい空の中要塞のようにその団地は浮かび上がる。北側の高い塀には陽が当たらず、刃のように階段が突き刺さっている。それが誰も使いたがらぬ人工の丘の裏口だ。陸の孤島の上空、鳥の影が通り過ぎる。あの鳥より遥かに世界を知らぬまま、人々は丘の上で生活している。

私の中でも涯(はて)という漢字がとても心に響いてきている。この漢字は日常的には生涯とか天涯孤独などの熟語でしかあまり使わないが、水辺の崖を表していて、水際、岸、果て、限り、終わりに至るまでの間などの意味がある。

在宅介護、そしてコロナによる外出制限と自宅に閉ざされることによってむしろ、自らの内側のシャッターは開いているという今の感覚にフィットするからかもしれない。自らの涯(はて)を感じている。ちなみにそれは人にとって素直で健康的な状態なのではないだろうか。

本個展では齋藤芽生の母親である齋藤洋子手製のオリジナルグッズも販売されている。齋藤芽生がこだわって着る衣服は母の手製であり、インスタレーション作品や文章作品の小道具、装丁も母が手掛けているそうだ。そのため母娘は仕事上でもユニットだという。

『最涯商店』のような暮らしをすることは家族の究極の夢かもしれない
『最涯商店』を、ただの絵の展示だとは思っていない。それは夢の店舗の開店なのだ!

個展とは言うが、家族から脈々と受け継がれている背景や協力を意識するとそうも言えない感覚が沸き起こるのはわかる気がする。たとえそばに家族がいなくなったとしても、自らを形作ってくれたものを感じながら私の最涯商店を開けておくことが夢かもしれない。

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