どうか、しあわせに
美術室で会った。あの人は、綺麗な青空と、子どもたちの遊ぶ公園と、初夏の緑を、とても丁寧に描いたキャンバスの前に立っていた。すると徐に目の細かいヤスリを手に取り、削り始めた。一体どうしたのかと驚いて、次に、もったいないと小さじ1杯程度の悲しみが広がった。一滴だけ、涙が零れた。
「狐の嫁入りっていうんだよ。」
振り返ったその人は言った。穏やかな、優しい表情だった。確かに、削られて霧がかかったように霞んだ景色は、天気雨に見える。
「あまりに細かい雨が降るとね、この世界の綺麗な部分が削られて、粉のように舞って、わたしたちを包んでいるかのようで、嬉しくてたまらなくなるんだ。晴れていると、それがきらきら輝いて見えて、なおさら。」
幸せに思った。その人の見ている綺麗な世界の小さな小さな欠片が、キャンバスから零れ、夕日に照らされてちらちらと、その人に歓びを降り注いでいる。あまりに満ちた表情だった。きっと、わたしもそうだった。その日、一日だけ会ったあの人は、きっと今とても幸せに暮らしている。
その日のことが、嬉しくて、愛おしくて、宝物のように大切な想いで。だからわたしは、天気雨の日は傘をささない。祈りのような、想いを込めて。
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