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「十年一昔」

ラジオのパーソナリティが「最近と思っていることはだいたい十年前のこと」と言っているのを聞いて、「十年一昔」という言葉を思い出した。

この言葉、普段使いとしては「十年なんてあっという間に過ぎてしまう」、つまりは、時の過ぎゆく速さを表現したい時に使っているのではないだろうか?(私だけ?)

でも、本当は「十年なんてあっという間に過ぎてしまうもので、十年経てばそれより前は遠い昔のように思える」のような意味だという。

言ってることは解るけれど、今の自分には何だかピンと来ない。

一方で、敬愛しているタレントさんがTV番組で言ってたこと。

「忙し過ぎて、充実していて、三日前のことが随分と以前のように感じる。」

これは素直に解る気がする。

仕事が超忙しくて、手帳じゃ管理できなくてB5サイズのダイアリーで自分の予定を管理していた頃(アナログの時代)、先週何をしていたかさえ分からなかった。

十年なんて待つこともなく「一昔」はやって来た。

ところが、先日友人と話していて自分で言った言葉は、

「忙しかった頃は一年があっと言う間だった。今もあっと言う間だけれど、今の方が過去が早く過去になる感じ。前は『あれからもう十年か〜』だったのが、最近は『あれから3ヶ月しか経ってないの?』てな具合。時間の密度が高いな。昔の方がはるかに忙しかったのに逆の感覚。個人差ありだろうけれど、人間の時間感覚は年齢で変わるのかも。」

なんだか我ながら矛盾してる気がする。今の方が自由な時間は多いのに。

でも、よくよく考えてみれば言いたかったのは「人間の時間感覚には多忙と加齢が作用する」ということだったのだと思う。

時間の受け止め方に対する切り口が違うのだ。

忙しければ忙しいほど、自分に与えられた時間は凝縮・圧縮され、過ぎ去ってみれば必要以上に長く感じる。

良くも悪くも充実していたということだろう。

若い頃は将来に向かって無限に時間があるようにさえ思っているから、過去に追い立てられる必要もないのだ。

一方、歳をとるにつれ自分に与えられた時間は減少していくので、さして忙しくなくても残り時間へ意識が向いているから「もう一日経ってしまった」と感じてしまうような気がする。

焦りなのだろうか?

過ぎ去った時間に意味を見つけたくて、只管充実を求めているのかもしれない。

何だか収拾がつかなくなってしまった。

どうも自分には哲学は似合わないようだ。

今回は学びを得られなかった。

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