2022年、新年に思うこと
2022年が明けた。惜しいゾロ目。2222年だったら思いっ切り特別感があるのに。
しかし残念ながら、あと200年は生物学的に生きてはいられないだろう。
でも、2033年だったらいけるかも。2044年も可能性はあるかも知れない。2055年は流石にかなり厳しいかな?2066年はミラクル級だし、2077年に至ってはギネスの世界だ。
妄想しても仕方ない。要するに、2022年を特別な年にしたいとの思いから、思うがままに書いてみました。
リセット
三十数年間勤めていた職場を定年退職し、その後は元の職場の関係先に籍を置かせて貰っていた。
所謂再雇用だ。
フルタイムは選択しなかった。もとより、若い頃から定年退職したら誰にも何にも縛られない自由な日々を謳歌したいと望んでいたから。
しかし、現実は甘くなかった。
そもそも、三十年以上世の中の事情が変わらないことなどあり得ない。
それなりに役職に就かせて貰えたものの、月給は伸び悩み、退職金は大幅に目減りし、いつの間にやら年金の支給開始年齢は後ろ倒しになった。
食わねばならん。養わねばならん。なので短時間の勤務を継続せざるを得なかった。
ただ、定年したからと言って、環境や事情がその時点から変わらない訳ではない。
いろんなことが再就職後も様々に変化し続けて来た。
御多分に漏れず新型コロナウィルス感染症の影響まで受けたし。
そして今、加齢に反比例するが如く、自由どころか寧ろ忙しくなって来た。
忙しい理由は多々あれど、若い頃と違って主として個人的事情で忙しい。
結果、そろそろ疲れてしまった。持久力はある方だが諦めるのは早い。
最早潮時か?
いやいや、潮時と言っても決して人生を悲観している訳ではない。漫然と過ごして来た日々を反省し、改めて今後の展望について考える時期に来たように思えるのだ。
つまり
亀の歩みで進めている実家の整理を速やかに終え、次に控えている自らの終活も速やかに進め、晴れて人生をリセットすべき時が来たと思い至ったのだ。
だから
まずは仕事を辞めることにした。
経済的問題?当然悩み熟慮した。そして対策も施した。
ただし、その詳細はここで書くべきことでもないだろう。
一言で言えば「なんとかなる!」ということだ。
多少厳しくとも、これからの優先すべきは金銭より時間だ。
そう選択したのだ。だいぶ前に。
実家の整理は、感情の流れに逆らうことなく過去と向き合いながら進めている。委託料支払って業者に丸投げというやり方だけは選びたくない。
当然ながら必然的に時間は掛る。何を捨てるにしたって、躊躇に次ぐ躊躇を繰り返しているのだから。
でも、それでもいい。それが親の恩に報いることだと考えているのだから。
ある物を見る。思い出を探る。思い出すこともあれば思い出しようもないこともある。
しかし、いずれの場合であっても想いを巡らすことには変わりはない。
思いを巡らすその時間を大切にしているのだ。
だから
時間がもっと欲しい。途切れなく欲しい。タイムリミットが近いと確信しているから。
建造物としての実家は、既にその寿命を迎えようとしている。住居として使用していないのだから、加速度的に老朽化は進行している。
大地震でも来れば最早それまで。そうでなくとも、かなり近い将来には危険な領域に達してしまうだろう。
毎日通っていれば素人でも解ることなのだ。
リフォームするから貸して欲しいという知人からのオファーもあった。
賃借の目的を聞いてみれば、決して悪い話ではなく寧ろ好ましい話だ。
しかし、家財を整理するまではダメと断った。傷みが激しいからという理由も添えて。
自分に経済力さえあればその土地に新たな住居を建てたいという野望もあるのだが、そんなことは夢のまた夢。妄想の域を出ない。
どうやって活用するかは、家族とも相談しながらこれから決めることなのだ。
迷いながら書いているから、なんだか話がグダグダしてしまった。
要は時間が欲しいだけ。だから完全退職の道を選んだのだ。
定年退職の際にし損ねてしまった人生のリセットを、今改めて試みようとしているのである。
リスタート
「リスタート」とは良い言葉だ。今年公開された映画の題名でもある。
もっとも、映画「リスタート」と自らの「リスタート」では、まるで中身は違うけれど。
映画の方は夢を追う若者の希望に満ちたストーリーで、こちらは残りの人生を充実させるべく焦る初老のストーリーだ。
思いっきり贔屓目に見ても、せいぜい「似て非なる話」だ。
けれども、自分にとっての「リスタート」は、二度と手に入らないかも知れない宝物のようなものだと思っている。
今まで仕事に振り向けていた時間を自分用に振り向け、与えられた時間の全てを自分のものとして使えるようになる。
これこそが夢見ていた世界の基礎を成す部分だ。
言い訳かも知れないけれど、今まではそれがなかったのだから夢が夢のまま進まなくとも無理はない。
人には時間の使い方の上手な者と下手な者がいる。自分は後者なのだ。
与えられた時間の全てを使わないことには、目標達成はままならないのである。
別に大それたことを目論んでいる訳ではない。今までやりたくても出来なかったこと、していなかったことを全てやりたいだけなのだ。
たまに自宅で観る程度だった映画を好きなだけ映画館で観るとか、買い揃えているだけで殆ど手にしていなかったギターとウクレレを人前で弾けるぐらいに練習するとか、テレビでしか見たことのない絶景をこの目で見に行くとか。
当面の目標は実現可能なものばかりだ。
しかし、にも関わらず実現し得なかったことばかりなのだ。
実現可能な目標さえも達成出来ずに、より大きな目標など達成出来る訳はないのだ。
与えられている時間は、もしかしたら自分で思い描いているよりも短いのかも知れない。
まさに神のみぞ知るだ。
とは言え、2022年という新たな年を迎え、自らのリスタート元年と位置付けることに何ら問題はないだろう。
なんたってもう踏み出しているのだから。
そう、リスタートは既に始まっているのだ。
新たな年に向けたささやかな宣言を書き綴ってみました。