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2021年、心の旅

「2021年は、私にとって淡々としながらも転換点だったといえるのではないか」

1年の振り返り、という年末らしい試みのうちに、私の中でそんな考えが浮かびました。


最大の理由は、ライティングを始めたこと。
もともと書くことが好きで、学生時代には二次創作小説の投稿なんかもしていた私。
社会人になってからは、ジャンルに対する熱量の低下や日々の忙しなさを言い訳に、創作からは遠ざかっていました。
それでも言葉を紡ぐことまでは捨てられずに、折に触れて短文を綴ってはTwitterに放り投げて。
"ものを書くこと"と私は、付かず離れずの関係性をキープしながら生きてきました。

それがまさか、いろんなものを自分からなくしてしまったわが身に、ほんの少しでも慰めをもたらしてくれるとは。
1年前の私には、思いもよらぬことだったでしょう。
甘い目論見が外れ、拒食症の自分自身を正すこともままならない。

「そんな私でも、できることってまだあったんだ」

書くことで誰かに伝えられる、役に立てる。
ライティングを通じて、私は生きることを許されているように感じていたのです。
この思いは、今も変わっていません。
周りとの落差がどれだけしんどくても、自分の要領の悪さに凹もうとも、私は書くしかないのだと。
たった一人でも心を揺さぶれたら万々歳なのだと。

広い世界の中で、情報と文字の奔流の中で、誰かが私の言葉を拾い上げてくれたとしたら。
目には見えない出会いでも、私にはこのうえない幸せだな、と思います。

そして最近になって、そんな風に言葉を届けたい本当の相手は"自分自身"だったのだと気づきました。
ひどく矛盾してみっともなく生きている自分でも、
「ああ、私ってこういうやつだよね。大丈夫、わかってるよ」
と、他ならない私に認められたくて。
我ながら、呆れた自己愛だといっそ笑いたくなってしまいます。
けれどこんな私もまた、30年引きずり続けてきた自分だから。

もっと周りを見て、自分を変えて生きていけたらいいんだと思います。
その方が喜ばれるんじゃないか、自分だって得するんじゃないか、と。
大切な人たちに迷惑をかけたくないし、不快にさせたくない。
本音を嘘にしたくないなら、変わらざるを得ないことはたくさんあります。

それでもまだ、時間がかかってしまいそうだから。
のんきな生き方を肯定してくれる、私の周りのすべてのひとたちへ。
私は今、書いて、息をしています。
それを許してくれてありがとう。いかしてくれてありがとう。

2021年が終わり、迎える2022年。
できることなら穏やかに、しなやかに、私なりの生き延び方を見つけたい。
そして私は「もう大丈夫」と、自分にも周りにも胸を張りたい。
年の瀬に、ただただそう心に刻むばかりです。

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