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すばらしい時間

「・・・できちゃった」
彼女のその一言から、僕の師走は始まった。

「で、できたって、まさか・・・?」
そう尋ねた時の僕の顔は、なかば青ざめていたかも知れない。
「うん、どうする?どうする?」
そんな僕に気づかないのか、それとも無視したのか、彼女は目をきらきらさせて僕に詰め寄った。
勘違いじゃないよね?と何度も念を押してみたが、彼女は
「勘違いのわけないじゃない!」
と怒り出し、僕は半ば茫然自失の思いで彼女にプロポーズすることになったのだった。

それからの僕はとにかく、走り回った。
まずは婚約指輪。
あんまり高くなくてもいいからね、と、初めは殊勝なことを言っていた彼女だったが、店に入った途端ころっと態度が変わった。
店員に「一生ものですから」と薦められるまま、予算をはるかにオーバーした指輪のコーナーでうっとりする始末。

数日後。
サイズ調整とイニシャルの彫刻を頼んでいた指輪ができあがるのを待って、彼女の両親に挨拶をしに行く。
一人娘の彼女と結婚することの困難を、僕は楽観視しすぎていた。
確かにできちゃった婚であることだし、彼女の親父に一発や二発殴られても文句は言えない。
それくらいの覚悟はしていたけれど、まさか日本刀を振り回してくるとは思わなかった。
「馬鹿ねえ、あんなの模造刀に決まってるじゃない」
彼女は後で言ったけれど、そうなら先に言っておいて欲しかった。

それから式場探し、新居探し。
家具や電化製品の買い物、エトセトラ、エトセトラ。
目が回るような日々だった。
師走は先生も走るというけれど、サラリーマンの僕も走りっぱなしだ。
息つく暇もありはしない。

「おい、今日はちょっと飲んでいかないか?」
仕事納めの日、帰り支度をしていると、同僚にそう声をかけられた。
「あー悪い。今日はこれから、D百貨店に行かなくちゃならないんだ」
「何、買い物?少しくらいなら、待つけど」
「いや・・・、実は」
僕はためらいつつ打ち明けた。
「新春福袋を買うために、これから並ぶんだよ。3日間」
つわりで体調が悪いという彼女に頼まれたのだ、と言い訳する僕に、
「早くも尻に敷かれてるのか。情けないな」
同僚が向けた哀れみ交じりの視線は、当分忘れられそうにない。

・・・一体何で、僕がこんなことしなきゃなんないんだよ。
僕は寒さに身を縮めながら、心の中でぶつぶつと文句を言う。
彼女がどうしても欲しいという福袋の商品が何なのか、僕は教えてもらっていなかった。
あなたもきっと、欲しいものよ。彼女はそう言っていたけれど、そんなヒントじゃ分からない。
ああ、雪まで降ってきた、畜生。

元日。
3日間並んで、やっとの思いで手にした福袋は、思いがけず小さかった。
おまけに軽い。
一体、何が入っているんだ?

帰るまで、絶対に開けちゃだめよ。

確か彼女はそんなことを言っていた。
でも、好奇心には勝てなかった。
・・・こっそり開ければ大丈夫。
もう一人の自分の誘い文句に負けて、僕はそっと、紙袋のテープをはがした。

中に入っていたのは、いまどき100円ショップでも売っていそうな、ちゃちな置時計だった。
『あなたに、すばらしい時間をプレゼントします』
箱に書いてある言葉も何だか胡散臭い。

こんなもののために僕は3日も並んだのか、と半ば虚しい気持ちになりながら、僕は彼女の待つ部屋に戻った。
部屋の前でインターホンを押してみたが、応答がない。
寝ているんだろうか?気楽なもんだよな。
僕は、かじかんだ手でポケットの中の鍵を取り出し、扉を開けた。

「ただいま・・・・・・あれ?」

彼女はいなかった。
がらんとした部屋。
二人で買った家具もすべて消えうせている。
どういうことだ?
力が抜けた僕は、思わず手に持っていた福袋を取り落としてしまった。
そのはずみで、袋から飛び出した時計。

『あなたに、すばらしい時間をプレゼントします』

すばらしい時間。

自由だった、彼女と結婚が決まる前の日々。


箱に書かれた言葉の意味を、僕はようやく理解した。

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