私が読書感想文が嫌いだったのは
小学生の時、一番嫌いな夏休みの宿題は読書感想文だった。
本を読むのは好きだった。
では、なぜ嫌いだったかと言うと「強制」される読書が嫌いだった。
学校が指定した中から本を選んで読まなければならない。
それについて感想を書かなければならない。
この「しなければならない」がとても苦痛だった。
そのため、読書感想文はいつも夏休みが終わるぎりぎりに何とか終わらせていた記憶がある。
そして、その時に何を読んだかは全く覚えていない。
学校としては本を読む習慣を児童につけさせたかったのだと思うが、あれは全くの逆効果だったのではと思う。
そもそも当時の私はどうして大人はそんなに子どもに本を読ませたいのだろうと考えていた。
本を読んでいるとよく言われた。
えらいねと。
私はどうしてほめられるのか分からなかった。
こっちとしては楽しいから読んでいるのであって、ほめられるようなことなど何もしていない。
この考え方は大人になった今も変わっていない。
世の中には楽しいことがたくさんある。
その選択肢の一つが本を読むことであると私は考える。
それがゲームであっても、マンガを読むことであっても(これも立派な本なのだが)、選択の自由であると考える。
それでも、もし、文字だけの本を子どもに読んで欲しいのなら、大切なのは自由であることだ。
私が本を好きになったのは、きっと親が私が好きなように選ばせてくれたからだ。
本屋さんや図書館と選べる場所だけを与えてくれて、あとは自由にさせてくれた。
そして、選んだものを「こんなもの」と取り上げることはしなかった。
大切なのは自らの意思で選んだ本を「面白い」と思う体験だ。
また、感想は原稿用紙一枚分もいらない。
「面白かった」「つまらなかった」それだけでいい。
自分にとって愛しい本ができれば、原稿用紙何枚分でも感想は書けるものだ。
好きでもない本の感想を書くほど難しいことはないだろう。
と、今年の課題図書を見ながら、そんなことを思ってしまった。
今や忘却の彼方へと行ってしまったあの時に読んだ本は、もしかしたら、課題図書という形ではなく出会っていたら、好きになれた本もあるかもしれない。
そう思うと何だかもったいなく感じてしまう私もいる。
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