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人見知りって何だろう?

先日、YouTubeの東山奈央さんの公式チャンネルで、鈴村健一さんとの対談を見た。

そこで話していた人見知りについての話が興味深かった。

東山さんも鈴村さんも人見知りだったらしい。

東山さんはある時から現場で話をするのが楽しくなり、こんな私ですが知ってもらって良いですか知りに行っても良いですかとさらけ出せるようになったと言っていた。

転勤族だった鈴村さんは中学3年生の時、関西弁が怖くてジェスチャーでしか人と話せない時があったそうだ。

でも、すべり止めの高校に落ちた時にクラスメイトたちが家まで励ましにきてくれて、それが考え方を変えるきっかけになったと言っていた。

嫌われる。嫌われている。それは自分の思い込みで本当は相手はそんなこと思っていないのかもしれない。


私は人見知りだ。

でも、子どもの頃に比べると大分マシになったように思う。

きっかけは新卒の就職活動だった。

そこは初対面の人だらけだった。

企業の担当者はもちろんのこと、説明会に行けば知らない学生さんと隣同士になった。

選考が始まればグループでの面接やディスカッション。

常に知らない人に囲まれ、話をする環境。

そんな中で「人見知り」だなんて言っている場合ではなくなった。

私は半ば強制的にガチガチに閉めていた心の扉を開ける必要があった。

幸いなことに共通の話題はいくつもあった。

同い年の大学生で、同じような業界や職種を目指していて、そしてみんな、就職活動に不安を抱えていた。

私が就職活動をしている時はリーマンショックの影響で就職氷河期だった。

私を含めて100社以上受けている人は何人もいた。

だからこそ、互いに不安を共有したかったのかもしれない。

出会ったのはその日限りの人ばかり。

「はじめまして」「さようなら」の関係。

だからこそ、友達や親には話せないことも不思議と話すことが出来た。

待ち時間や帰り道。

思い返してみると初対面の誰かと話すその光景はどれも楽しいものばかりだった。


鍵をかけて部屋の中だけのものを安全だと思い込んでいた私は部屋の外にも優しい世界が広がっていることを知った。

人見知りは自衛のひとつだと思うので全てを解放すべきとは思わない。

危害を加えてくる人やどうしても合わない人はいるだろう。

でも、少しだけ、ほんの少しだけ心の扉を開けることが出来たなら、世界は広がるのかもしれない。

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