見出し画像

境界が曖昧な人たち

 やっと1人につき10万円が給付されると思ったら、世帯主が一括申請らしい。ずっこけた。1人ずつにした意味がない。こんなところでも家族制度の維持を示したい…日本だなあ。

 国や行政の手続きは少しは簡略化されるのかもしれない。でも、その10万円が必ずしもひとりひとりの手に渡るとは限らない。金遣いが荒かったり、お金を使わせてくれなかったりする家族を持つ、いわゆるDV被害者の場合はどうか。弱い立場にいる人への配慮に欠けるのは、国会議員のほとんどが世帯主だから? 「辛いときだからこそ、家族で支えあって使ってくださいよ」ということなんだろう。「家族が」つらい人もいるのに。

 世帯分離を考える人もいるかもしれない。でも、自分で生計を立てるのが厳しい人にとっては10万円を貰えたとしても、その先を生き抜いていけるかわからないわけで…。一応避難先の自治体でも申請可能らしいが、本当にきちんと行き届くのか。平時から影で苦しんでいた人の存在がこんなときに浮き彫りになる。今でこそ自分の食い扶持は自分で稼げるようになったけど、非正規シングルマザーの家庭で育ったので気が気ではない。

 小川たまかさんの「『ほとんどない』ことにされている側から見た社会の話を。」でこんな文章があった。

他者との境界が曖昧な社会では「手伝って」の一言に対して、過剰な「強制力」を読み取ってカチンとくる人がいそうだ。そして言う方は、「強制」と思われることを避けるために極力声を上げなさそう。

 電車とホームの隙間が大きく、ベビーカーを降ろすのに困っていた女性。その女性を手助けしたことで、初めて子育て中の人の視点を知ったという話だった。自分と他者が曖昧で、自分と異なる立場の人への想像を働かせようとしない社会。世の中が息苦しくなる中で、「みんなも我慢しているのだから」という同調圧力で、声を上げられない人もいる。

 政治家はより弱い立場の人の目線に合わせた政策を進めるべきなのに、あほとしか思えない。「議員は受け取らないので~」とか言ってる場合じゃないだろう。自分のことしか見えていない。一体何年政治家やってきたんですか?
 そんなことを考えていたら広島県知事が、県職員に給付される10万円を財源に活用すると発表していた。ここにも他者との境界が曖昧な人が。

 こんなこと起こりえないだろうと思ったことが次々と起こる。事実は小説よりも奇なり。笑えない。ここまで日常生活が侵食されると、リアリティーがある作風の小説や漫画を読んでも、コロナのないフィクションの世界だなと実感するだろう。だからいまは人の日記が面白い。現在進行形で連載している作品の読み方が変わりそうだ。ケースワーカーが主人公の漫画「健康で文化的な最低限度の生活」で、このコロナ禍を描いてほしいなと思う。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?