祖母の駆け落ち
仏壇に供えられた菊の花を見ると、11月に亡くなった祖母のことを思い出す。
祖母は毎朝、仏壇にご飯をお供えしていた。飮食供養(おんじきくよう)はわたしたちがいただくものと同じものをお供えすることで、仏様や御先祖様とつながることができるとされている。
幼いわたしに祖母は、お供えしたご飯をいただくことでその日の難を逃れるのだ、と教え聞かせた。
明治生まれの祖母はもの静かで優しく、どこか品のある女性だった。
祖母が亡くなって何年もしてから、母に祖母の駆け落ちの話を聞いた。
武家に生まれ、女学校を卒業した祖母は、「二度とこの家の敷居をまたぐな」と親に勘当され、身分違いの祖父のもとに嫁いできたのだという。
母の実家の納屋には、娘時代の祖母が髪を高島田に結上げていた頃のかんざしや髪飾りや着物などが積まれており、それらは母のままごと遊びの道具として、ことごとく消費されてしまったそうである。
「価値を知っていればままごと遊びなどに使わなかったのに」と母は残念がっていたが、娘が遊び道具にしてしまっても、祖母は小言ひとつも言わなかったのだろう。
祖母は、いったいどれほどの苦労をしたのだろうか。恋を悔いたことはなかったのだろうか。
祖父と祖母の運命の出逢いは、永遠の謎のベールに包まれたままとなっている。静かに燃える深紅の菊に、祖母の恋を重ねてみた。
祖母とわたし。つながることができただろうか。
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