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私は「いい人」にはならない。

「いい人」って何のメリットがあるの?誤解を生みそうな気もするが、私は「いい人」にはなりたくない。と言っても「意地悪な人」「悪人」になりたいという事ではない。

「あの人いい人なんだけど…」巷でよく聞く台詞だ。「いい人」はいいが、その後に「なんだけど…」ってつくと途端に物足りない感が出てくる。軽く否定的な意見だ。

自分の感想としては、「当たり障り無いけど、印象に残らない人」「そんなに魅力が感じられない人」「性格はいいけど、恋愛対象にならない人」「(相手にとって)都合のいい人」のイメージがある。どちらかと言うと、ネガティブな感じだ。

自分が思うに、「いい人」と言われる要素は、八方美人になっちゃったり、他人の顔色を伺い過ぎる点にあるんだろうなと感じる。「嫌われたくない・嫌われちゃいけない」とか。

周りの顔色ばかり伺って自分を出せないのも嫌だししんどいし、自分の考えを持っていないと思われるのも嫌だ。自分は自分。他の誰でもない。

なので、あんまり「いい人」「良い子」とか言われるの好きじゃ無い。「いい人=どうでもいい人」って言われている様で…自分の中ではあまり印象に残らない感じ。

…なんでこんなにモヤモヤいらいらするのか?自分で分析してみた。自分自身は、新入社員の時に、先輩に微妙に仕事を押しつけられたり、いい様に言いくるめられたりした事があるからかな、と感じた。社歴の浅い時にそんな拒否出来ないけど、過去の自分を思い出す所があった。要するに、自分のやっていた「いい人」は、嫌だったのだ。

好きな人に嫌われたくないから、素の自分をなかなか出せなかったり…「好かれよう」とイイコを演じたり…

それで「いい様に使われてたまるか!」「みんなから好かれなくて結構だ、主張する所は主張してやる!」「自分を偽っても、後で分かっちゃうし」と極端になっちゃったのだろう。

自分は、空気読めなくて周りをいらいらさせてた自覚はある。社会人生活や友人同士・家族でも気を遣ったり、協調性が必要な場面はある。でも、「いい人」「少し無理言っても怒らないだろう」「仕事を押しつけても大丈夫な人」とか思われたくない。例え嫌われても、自分の意見を主張出来る様になりたい。仕事でも、恋愛でも。

自分を全て分かって貰いたいとは思わない。全ての人に好かれようなんて思ってない。勿論、自分が好きな人が好きになってくれれば嬉しい。願わくば、大事な人にとっての「どうでもいい人」にはなりたくない。

とりとめのない感じになってしまったが、自分ていうものを持って生きていきたいな、という話です。

世の中の人の目からの、解放。

少しは楽になるかもしれない。

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