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ろう者に物申す

むかし、こんなエピソードがありました。

俺の情報保障はないのかよ?
ろう者みんな、常々情報保障が必要って言ってるのに、手話の分からない俺の情報保障はどうすんの?

ろう学生10名くらいの中に、聴者は彼一人だけ。「ねぇねぇ、何でよ?」という悲しみと怒りの表情に一瞬、その場の空気が凍ってしまいました。

でも数秒後、ろう学生の一人が「聴者は24時間、耳が聞こえてるでしょう。ろう者は耳が聞こえない。手話のできる人もそんなにいない。その違いはあるんだよ」。

彼は「いや、それはわかるんだよ。でも手話がまだまだの俺に対してこのままでいいの?」。
お互い19、20歳だったので感情的になってしまい、そこから議論がヒートアップ。最終的にどうなったのか忘れてしまったけれど、彼はろう学生と仲良く卒業し、手話を使う仕事を今も続けています。去年のドラマ「silent」に似た場面があったけれど、本当にその瞬間がありました。

「まぁまぁ、ろう者の言うことはいつもこうなんだからね」
「我々、聴者は黙ってればいい」
「ろう者はすぐ感情的になるからさ」

世の中にはろう者に対して意見を言わない人たちもいます。意見を言うのはエネルギーがいるし、傷付けられてしまうかもしれないし、それこそ面倒くさい。なので初めから何も言わない方が賢明、ということです。
一方で、ろう者も「聴者だからって偉そうに!何を言っても聴く耳はないしね」と思う人たちもいます。

それぞれの生い立ちや環境はともかく、意見を言い合えているかどうかは人間関係の中のある種の関係性が影響してくるし、タイミングだったり、その人なりの生き方にもよります。

でも、やはり、ろう者にとっては「自然に周りの話が耳に入ってこない」ので、「わかってほしい」と察することが難しい時もあります。

だからこそ、真正面に「物申す!」と手話で話してきた聴者に対しては尊敬の眼差しで見ます。おお!ブルータス、お前もか。

意見のぶつかり合いは、内容によるけれどとても大切な作業の一つ。なぜ違うのか。なぜズレたのか。「WHY?」の先にあるものをお互いに共有できた時に、初めて見えてくるものがあります。根気のいる作業なので毎回にというわけにはいきませんが、手話で議論できるようになると異文化理解も深まるのは間違いないです。

知識の交換。
情報の交換。

今年も「WHY?」の先にあるものを見つけていきましょう。

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