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厳島神社
先日、厳島神社(茅ヶ崎市)に参拝をしました🍀🌈
御祭神
厳島大神(イツクシマノオオカミ)
市杵島姫命(イチキシマヒメノミコト)
田心姫命(タゴリヒメノミコト)
湍津姫命(タギツヒメノミコト)
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記紀に示すが如く天照大神の御子神にましまし、
天孫降臨に先立ち「天孫を助け奉りて天孫にいつかれよ」との神勅
を奉じて 北九州と朝鮮半島を結ぶ海上要路の福岡県宗像に奉鎮され 、
別の名を「道主貴」(ミチヌシノムチ)「宗像三柱神」
と称し、皇室守護・国家鎮護・国民道の祖神として朝野を上げて厚い尊崇を受けました。
安芸の宮島厳島神社を始めとして 全国六千余の神社にて奉斎されています。
天照大御神と須佐之男命との誓約(うけひ)の際にお生まれになった五男三女の神々のうち、初めにお生まれになられた姫神様達の総称で、須佐之男命の御子神となり、別称を宗像三柱の神といいます。
妙音弁財天
八角の神池の中には、琵琶持つ姿の妙音弁財天さまがいます。音楽芸能のご利益があります🍀🌈
龍神様
こちらには弁財天さまと龍神様がいて、ミツウロコのマークも。
北条氏との関わりもあるのかと思います。
江島神社、龍口明神社にもミツウロコがあります🍀🌈
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浜降祭というお祭りがあり、相模一宮 寒川神社をはじめとして、茅ヶ崎市にある30社の神社の神輿が参加するお祭りです。
諸説ありますが、
天保9年(1838)、寒川神社の神輿が、例年春に行われる国府祭(こうのまち)【大磯町国府本郷】に渡御した帰途、相模川の渡し場で寒川の氏子と地元の氏子が争いを起こし、川に落ちて行方不明になってしまいました。
その数日後、南湖の網元である孫七さんが漁の最中にこのご神体を発見し、寒川神社に届けたことを契機に、毎年同神社の神輿がそのお礼のため南湖の浜に赴き、「禊(みそぎ)」をするようになったと言い伝えられています。
一方、江戸時代後期に幕府がまとめた『新編相模国風土記稿』によると、鶴嶺八幡宮では寒川神社のお礼参りよりずっと古い時代から、心身の罪やけがれを清める「みぞぎ」の神事を行うため、毎年浜辺への渡御が行われていたとあります。
浜降祭は、寒川町・茅ヶ崎市にある各神社の氏子たちが、その神社の神輿を担ぎながら一斉に海に入り、海から出た後は再び各地域まで神輿を担ぎながら戻り、地域を渡御する祭りである。平成の初め頃までは、海中に神輿を叩き込むこともある荒っぽい祭りだったが、近年は神輿の更新にかかる出費を抑えるため、担いで海に浸かる大人しい形に変わってきている。そのせいか、近年は女性や子供の参加者も増えてきている。
近年(少なくとも21世紀)では西浜海岸から遠い神社について、神社のある地域から西浜海岸まで神輿をトラックで輸送し、担ぎ手たちは貸切バスで移動するケースが多い(貸切バスには神奈中の路線バス車両が大量に動員される)。 それ以前は、深夜0時ごろから各神社で宮出しが始まり、夜明けまでに西浜海岸に着くように担いで行っていた。
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僕が参拝をする前には誰もいなかったのですが、拝殿で拝んでいたら、気がついたら後ろにひとが😊
地元の方々に信仰されている神社さんなんだなぁと感じました🌈🍀
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