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本を読むのに使う右脳左脳

本を読むのに、使う脳が違うようだ。最も哲学とか科学とか論理性が引き立つ文を読んでいると「右脳的」な視覚的部分は弱まって、むしろ「左脳的」な言語理解的な部分が強まっているようである。実際に、視覚的に理解というものは論理だらけの文章には難しい。数学なんかもそうなんじゃないだろうか。正直、私はこちらの左脳的な理解は難しいし苦手だ。もっとも、右脳的で視覚的、感覚的な理解の方がずっと簡単に感じる。であるから、本を読んでいてもファンタジーだとか、視覚的、感覚的表現に富んだものの方が楽しいのである。そして、それだけでなく、脳の疲れ具合というか実際にエネルギーを消費しているような感覚を両方の側頭部で感じる気がする。基本的に右脳側で生きているので、左脳的な、論理的文章をぶつけられると、左脳に切り替えない限り読みづらくて、脳が逃げようとするような感覚さえ覚える。私は、共感覚とかそういうものは持ち合わせていないので、数字や音符を見たところで視覚的な理解は出来ないのである。1+1=2には、視覚的情報は読み取れないし、もしあるならば後天的に付け加えられた解釈像でしかない。しかし、バターの香りが漂ってくるのだ。と言う文には視覚的かつ、嗅覚的、あるいは聴覚的、触覚的感覚までも存在している。バターが見えるし、空気の流れと共に臭いがするのだ。そこには人がいるだろうし、音もするのだろう。ならば、私には平衡感覚とか五感とが感じられるだろう。

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