母の日に読みたい!母を想う名詩3選
こんにちは。詩のソムリエです。
5月14日は母の日。母という存在の大きさは、なににたとえられるでしょうか。今日は、「母」にまつわる名詩を紹介します。
夕方になれば、みな母のもとへ。サッポー「夕星」
トップバッターは、紀元前7世紀に書かれたこんな詩。ギリシャの詩の女神・サッポーの作品です。
心にさーっと飛び込んでくる、こよなく美しい詩。母の安心感をこのようにうたった詩は、ほかに知りません。
夕星というのは、夕方に西の空に見える金星。そして金星はVenus、愛と豊穣と美の女神の星です。詩ぜんたいが、とても大きなものに守られているような時空間になっています。うっとり。
▼詩を"食べる"レシピ
母がいれば、無敵。まど・みちお「おかあさん」
2篇目は、現代日本へ。まど・みちおさんの詩です。
母と子の濃密な関係がつまった第一連。母さえいれば、激しい雨や風もへっちゃら!風雨を人生のなかの嵐と見るならば、これは生き方そのものととらえることもできそうです。母の愛というマントをこういうふうに歌うのか、と驚かされる名詩。(ここには父の姿が感じられませんね)
まどさんは、幼少期に母と別れます。父は仕事を求め先に台湾へ。そして5歳のある日、目が覚めると、母は兄と妹を連れ、父の待つ台湾へと発ってしまっていた。まどさんは祖父母のもとに一人残されました。祖父母への仕送りを保証するため、いわば人質のように置いていかれたのです。それがどんなに辛くさびしかったか、計り知れません。
小学校3年の終わりに家族は一緒になりますが、5歳から9歳といえば、甘えたいざかりだったでしょう。
そんなトラウマティックな日々がありながら、恨みや寂しさではなく、まっすぐな愛がことばになっている。まどさんの心底すごいところです。
「ぞうさん」に見る、親と子のDNA
まどさんの童謡「ぞうさん」にも、純粋な愛がつまっています。
子どものころはなんにも考えずに歌っていましたが、実は深い意味があります。これは、長い鼻をバカにされた子ぞうが、「おかあさんと同じ長い鼻」を誇りに思っているというシーンなのです。まどさんはこう話します。
子ぞうの気持ちがまぶしい、こちらもすばらしい詩です。ちなみに、「ぞうさん」の二番目は、こう。
「ぞうさん」の詩を読むと、こんなことも思い出します。たまたま見た短いテレビ番組で映し出された赤ちゃんの髪は、毛先がくるん。とってもかわいい。その子のお母さんが、「自分は天然パーマがずっとコンプレックスだったけれど、この子の髪を見て、自分の髪も好きになった」と微笑んでいたのを、10年くらい前のことですがよく覚えています。(私も天パだからかな)
「ぞうさん」の逆もまた然り、なのでしょう。
母と、てくてく。八木重吉「母をおもふ」
さいごに紹介するのは、八木重吉の詩です。
「あかるくなってきた」「てくてくあるきたくなった」歩くようなリズムが楽しい、短いけど印象的な詩です。世界を「あかるさ」でとらえるのは八木重吉らしい感性。そのあかるさのなかを、母と歩く。ちょっと夢想の世界のようにも思えます。「重吉よ重吉よといくどでもはなしかける」という短い一文で、母の細やかな愛情や雰囲気が伝わってきて、なんだかグッときます。内気な重吉の、よき理解者だったのだろうなと思わせられる表現。
八木重吉は、29歳で結核で亡くなりました。母を連れて、てくてく歩きたくても、歩けなかったのかもしれません。
無性に、母と歩きたい気分になる詩です。歩きながらだと、すなおにいろいろ話せる気もします。
お母さん、いつもありがとう。
そのお気持ちだけでもほんとうに飛び上がりたいほどうれしいです!サポートいただけましたら、食材費や詩を旅するプロジェクトに使わせていただきたいと思います。どんな詩を読みたいかお知らせいただければ詩をセレクトします☺️