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新見南吉の「どこもがひかるんだ」ーこどもの目を通して見る世界。

こんにちは、詩のソムリエです。
子育てのなかで考えた、詩のことをちょこっと話す「こどもと詩」シリーズ。「ごんぎつね」の作者・新美南吉さんの詩を紹介します。

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子どもがいると、「世界」はどう変わるか

息子がわたしたちのもとに来てくれて、1年と9ヶ月がたとうとしている。
以前は、「子どもを生むと世界が変わるよ」などと言われると、「そんなおおげさなぁ〜」と内心では思っていたのだけど、その言葉の真実味を日々感じている。

その一つに、これまではあまり目に入らなかった「こども」という存在がある。これは我が子だけではなく、総体としての「こども」だ。

教育系出版会社に勤めており、こども向けの教材を日々作っていたわたし。でも、実際の生活といえば、日々家と会社の往復で、週末にこどもを見かけることはあっても、関わることはほぼなかった。つまり、こどものことを真剣に考えて仕事していながらも、それはデータ上の架空のこどもであり、実際には大人だけの世界で生活していたわけだ。

それが、ひとたび子どもが自分の生活にあらわれると、自分の子がかわいいのはもちろんのこと(これも生む前は疑っていたものだった)、まわりの子どもたちまでみんなそれぞれ愛おしく感じられるようになったのは驚きだった。たった2年ほどで、わたしの世界は、大人だけではなく子どもの層が急速に分厚くなったのだ。大幅アップデートである。

小さい子を連れていることで、まわりの子どもたちも、息子とわたしに関わってくれるようになったのも大きい。息子は幸せ者で、近所のお兄さんお姉さんたちがよく遊んでくれる。

日曜日になると、うちの子のまだ甲高い「キャー!」という歓声と、小学生たちの笑い声がまじる。それを聞くのがとても幸せで、子どもというのはなんとまぶしい存在なのだろうと心があたたかくなる。

子どもを持つ人生を想像していなかったし、子どものいない人生もきっとすばらしいだろうと思うけれど、子どもたちの笑い声は弾けあう光のようで、こういう幸せを間近に感じられることを、とてもありがたく思う。

世界は、ひかる

ところで、「ごんぎつね」で有名な、新美南吉さんは詩も残している。そのなかで、「ひかる」という詩が印象的なので紹介したい。

「ひかる」

ひるはどこもがひかるんだ。
みてるとどこもがひかるんだ。

ぼうしのひさしがひかるんだ。
たれのひさしもひかるんだ。

フツトボールがひかるんだ。
たかいおそらがひかるんだ。

せんせいのかほひかるんだ。
にこ/\としてひかるんだ。

せんだんのえだひかるんだ。
めをもつえだがひかるんだ。

こうていのこゑひかるんだ。
みんなのこゑがひかるんだ。

がつこうのそらひかるんだ。
みてるとひるがひかるんだ。

ひらがなで書かれた詩を読むと、小学校1年生くらいの気持ちに戻る。
教科書も、校庭も、ランドセルも、勉強机も、えんぴつも、なにもかも、ピカピカで…。そうだ、目に映る世界ってこんな感じだったかもしれない。

子どもを通して、子どもの世界の、なにもかもが輝くあかるさを思い出させてもらっている。そのことを、この詩を読んでしみじみ思いいたる。

新美南吉の人生を照らす「光」

「ごんぎつね」は日本人のほとんどが知っていながら、新美南吉という人物(1913-43)について知る人はあまり多くないかもしれない。わたしもこれを機に調べたところ、幼くして母を亡くし、養子に出されるなど寂しい子ども時代を送ったようだ。教科書にも載っている「ごんぎつね」を書いたのは19歳のころで、23歳から病気に苦しみ、29歳で病死したそう。

教員をしていたので、「ひかる」はその頃のことがモチーフになった詩だろうか。「ごんぎつね」など、童話では美しくも切ないイメージがあるけれど、彼の詩はというと、明るさと希望が凝縮されている。

「明日」
花園みたいにまつてゐる。
祭みたいにまつてゐる。
明日がみんなをまつてゐる。

草の芽
あめ牛、てんと虫。
明日はみんなをまつてゐる。

明日はさなぎが蝶てふになる。
明日はつぼみが花になる。
明日は卵がひなになる。

明日はみんなをまつてゐる。
泉のやうにわいてゐる。
らんぷのやうに点つてる。

師である北原白秋の影響か、童謡のようにリズムもよく、心があかるくひらかれていくような詩が多い印象を受ける。

「窓」

窓をあければ  
風がくる、風がくる。
光つた風がふいてくる。
窓をあければ   
こゑがくる、こゑがくる。
遠い子どものこゑがくる。
窓をあければ
空がくる、空がくる。
こはくのやうな空がくる。

生涯独身でこの世を去った新美南吉も、死を覚悟した窓のそとで、子どもたちの声を聞いただろうか。彼の短い人生のなかで、子どもという存在がもたらしてくれたであろう明るさを思ってみる。

子どもはいつの時代だって、「ひかる」世界への入り口なのだと思う。
ガザやウクライナの様子が放映されると、ちらりと屈託のない子どもの笑顔が映ったりして、そこだけは光っているように見える。その光がどうか消えないように、と願わずにいられない。

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あとがき

2023年も、もう少しで終わろうとしています。どんな一年だったでしょうか?
「差引けば仕合しあはせ残る年の暮」(沢木五十八)という名句があります。ノンフィクション作家の沢木耕太郎さんのお父様の作だそうです。
今年、うまくいかなかったこと。切なかったこと。もっとやりたかったこと。心残りはたくさんありますが、詩を通じて出会えた方々の笑顔や、心のぬくもりを思うと、しみじみと、しあわせな気持ちになります。そんな年の暮れです。

来年も、詩でほっとしたり、潤ったり、人生って悪くないかもなと思えたりする時間を作っていければと思います。また来年もどうぞよろしくお願いいたします。新しい一年が、みなさまにとって心豊かな一年となりますように。

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今日もすてきな一日になりますように。
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