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【進撃の巨人という哲学書】37.インド神話より深いベルトルト ~52話~

アニメタイトル:第52話 光臨

あらすじ

物語は遡ります。
壁に開けられた穴をエレン巨人が大岩で塞ぐという作戦が決行されている時です。
ライナーとベルトルトの会話を聞いてしまったマルコ。
ライナーとベルトルトとアニは壁外から来た戦士で、壁内人類の殲滅、座標を奪還を目的としている事。
それを知られたからには仕方がない、マルコの立体起動装置を脱がせます。
直ぐに丸腰のマルコは巨人の捕食されてしまいました。

場面は変わり、ライナーとベルトルトとジークの3人が壁の上で話しています。
時はこのウオールマリア奪還計画。調査兵団が壁にたどり着く前夜でしょう。
ライナーとベルトルトはアニの救出を優先したいようですが、ジークは「座標(エレン)を奪還しこの呪われた歴史に終止符を打つ」事です。
「もう終わらせよう」

物語は現在に戻ります。
雷鎗でうなじを吹っ飛ばされた鎧の巨人。絶体絶命の状態で叫びを上げます。
それを聞いた壁外の獣の巨人が樽に入ったベルトルトをシガンシナ区内に投げ込みます。
つまり、空から超大型巨人が落ちて来られては、今度は調査兵団が絶体絶命です。
しかし、瀕死の鎧の巨人を見つけ、ここで巨人化してはライナーも確実に死ぬとベルトルトは巨人化しません。
そこにアルミンが駆けつけ交渉を挑みます。
アルミンとベルトルトの一対一の一触即発の交渉となります。
が最早、話合いで解決できる状況ではありません。
その隙を見てミカサがベルトルトを襲いますがかわされてしまいます。
ベルトルトは巨人化します。
その爆熱風で、多くの調査兵団が命を落としてしましました。


あれこれ考えてみよう。

戦闘の最中。アルミンはベルトルトに協議を打診します。
これだけの犠牲を出していながらまだ話会いで事を納めようとするアルミン。
ベルトルトも無視して巨人化すればいいのですが、敢えてアルミンの挑発に乗ります。
このあたりが本当は二人は平和主義の性格を上手く描いています。

「君達は大切な仲間だしちゃんと殺そうと思って」ベルトルト
「それは僕らが悪魔の末裔だから?」アルミン
「君達は誰も悪くないし悪魔なんかじゃないよ。でも全員死ななきゃいけない」ベルトルト

ライナーやベルトルトにとっては、始祖の巨人の力を持つエレンを奪還し、壁内の人類を滅亡させなければならないのです。

ベルトルト
「君達は誰も悪くないし悪魔なんかじゃないよ」
「すごく変な気分だ。恐怖もあまり感じていないし。周りがよく見える。」
「きっとどんな結果になっても受け入れられる気がする。」
「そうだ誰も悪くない。」
「全部仕方なかった。だって世界は。こんなにも。残酷じゃないか。」

矛盾と葛藤の自問自答を越えて、いつも消極的なベルトルトがなにか吹っ切れた感じがします。
とかく人は「正義」と「悪」に二元論で語りますが、「正義」と「悪」はあくまでも自分から見たもので、相手から見たらそれが逆転します。
ですから「正義」を振り回す人を私は「悪魔」の要素を持っている人として警戒します。

インド仏教神話。
力の神「帝釈天」と正義の神「阿修羅」の戦いの話しをここでします。
なるべく簡単にします。

「帝釈天」は「阿修羅」の娘を強引に自分の妻にしてしまいます。
それに怒った「阿修羅」は「帝釈天」に戦いを挑みます。
なにせ正義の神「阿修羅」です。娘を取られた怒りと正義に反する帝釈天の行いに我慢がなりません。
しかし、「帝釈天」は力の神です。「阿修羅」は何度も何度も戦いを挑み多くの多くの犠牲を出しますが「帝釈天」には敵いません。
結果。
「阿修羅」は人間界以下の阿修羅界の邪神となり、「帝釈天」は四天王を統率し、人間界をも監視する偉大な神となるのです。

さて、この話しを聞いて「なるほど~」と納得する人はほとんどいないと思います。
「おいおい待てよ!」と「悪いのは帝釈天だろ」と「阿修羅は娘を奪われた被害者じゃないか!」「理不尽過ぎるだろう!」と思われる事でしょう。私も最初はそうでした。

しかし、娘が帝釈天の元で不幸であるとは限りません。
阿修羅は「阿修羅の正義」の戦いによって多くの血を流したのです。
その戦いの最前線では、どちらが「正義」でどちらが「悪魔」なのかは分りません。
ただただ己の「正義」の為に敵の「悪魔」を殺し殺される殺伐とした戦いが繰り返されるだけです。
そういう意味では「戦いを繰り返す正義」それ自体が「悪魔」なのです。

ここまではインド仏教の神話のお話です。
ここまでで充分深く、私の大好きなお話ですが、ベルトルトにはそれを凌駕する深さを感じます。

ではベルトルトの心を深掘りします。
阿修羅の「戦いを繰り返す正義」それ自体が「悪魔」だと言う事は分かった。
ベルトルトにはベルトルトの正義があり、壁内人類には壁内人類の正義がある。それも分かった。
誰もが自分の「正義」を正当化する為に、敵を「悪魔」と言いますがそれは自分勝手なお話だ。
誰もが正義になって悪魔にもなりうるが、その本当は、誰もが正義ではなく悪魔でもない。
しかし、だからと言ってこの戦いを辞めて講和する事などできない。
それもこれも、全部、仕方が無い事だ
だって正義や悪魔など関係なく、戦いは繰り返される。
つまりは世界は。こんなにも。残酷なのだ。
大切なものを守る為に戦うしかないのだ。
大切な仲間を殺す事も仕方のないのだ。

ベルトルト
「そうだ誰も悪くない。」
「全部仕方なかった。だって世界は。こんなにも。残酷じゃないか。」

私が、こんなにも平和な国で「正義」だ「悪魔」だと、言葉遊びをしている今この瞬間に。
「正義」だ「悪魔」だと自分に言い聞かせながら
人が人を殺し、人が人に殺されているのです。
「全部仕方なかった。だって世界は。こんなにも。残酷じゃないか。」
戦争の本質はそこにある気がします。

ベルトルトの苦悩に比べたら、阿修羅も帝釈天もどうでもいい気すらします。

ベルトルトは巨人化します。
その爆熱風で、多くの調査兵団が命を落としてしましました。

戦いは更に激化します。

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