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【進撃の巨人から見る心】52 生老病死四苦八苦  ~62話~

アニメタイトル:第62話 希望の扉

あらすじ

ライナーはパラディー島での日々を回想していました。
訓練兵の頃の友情。
その友を裏切ってでも成し遂げねばならぬ任務。
結果、友と傷つけあって、アニは囚われ、ベルトルトは捕食され、一人大陸に戻ってきたライナー。
その地獄を生き抜いたわけですが、また再びパラディー島での始祖奪還計画が始まろうとしています。
また罪なき多くの人を殺さなければなりません。地獄の繰り返しです。
ライナーはライフルで自殺しようとしていました.

※この自殺までのライナーの心情がアニメではもう一つ描かれてなく、「分裂症だから」という理由だけに落とし込んでしまいそうで、少し強引な気がします。

とにもかくにもライナーは引き金を引きそうになった寸前のところで止まります。
「クソ、このままじゃ、ダメだ」というファルコの声が聞こえたのです。ライナーは「そうだ、俺にはまだ、あいつらが」とつぶやいて自殺を思い止まります。

ファルコは療養所で不思議な負傷兵と出会い、時折、訪れては語りあっているようです。
ファルコは自分の現状や将来の不安や恐れという本音を、この負傷兵になら正直に言えるようです。


あれこれ考えてみよう。

さて。今回はこの不思議な負傷兵の言葉を考えてみましょう。

負傷兵はいいます。
「オレは、この施設に来て毎日思う」
「何でこんなことになったんだろうって」
「心も体も蝕まれ、徹底的に自由は奪われ、自分自身をも失う」
「こんなことになるなんて知っていれば、誰も戦場になんか行かないだろう」
「でも、皆「何か」に背中を押されて地獄に足を突っ込むんだ」
「大抵その「何か」は自分の意志じゃない」
「他人や環境に強制されて仕方なくだ」
「ただし、自分で自分の背中を押した奴の見る地獄は別だ」
「その地獄の先にある何かを見ている」
「それは希望かもしれないし、さらなる地獄かもしれない」
「それはわからない、進み続けた者にしかわからない」

仏教は生きる事はそれだけで苦だと説いています。
「四苦八苦」とは
①生きる苦しみ②老いてゆく苦しみ③病の苦しみ④死に逝く苦しみ 
の「四苦」と
⑤愛別離苦(あいべつりく)とは、大切な人や大好きな人であっても、いつかは離れなければならない苦しみ。
⑥怨憎会苦(おんぞうえく)とは、逆に大嫌いな人、顔も見たくない人でも出会ってしまう苦しみ。
⑦求不得苦(ぐふとっく)とは、求めるモノゴトが手に入らない苦しみ。
⑧五蘊盛苦(ごうんじょうく)とは自分の心や、自分の身体すら思い通りにならない苦しみ。
を足した「八苦」
これを合わせて「四苦八苦」というのです。
もう。仏教哲学では、人生はなんの救いもない苦しみの連続だと。大前提として言い放っています。

問題は「だからどう生きるのか。」なのです。

この不思議な負傷兵は言います。
「でも、皆「何か」に背中を押されて地獄に足を突っ込むんだ」
「大抵その「何か」は自分の意志じゃない。他人や環境に強制されて仕方なくだ」

と。
そうです。
私たちはそれを望もうと望むまいと苦しみの中をもがいているのです。
まさに生きるとは地獄の連続なのです。

この不思議な負傷兵は続けます。
「ただし、自分で自分の背中を押した奴の見る地獄は別だ」
「その地獄の先にある何かを見ている」
「それは希望かもしれないし、さらなる地獄かもしれない」
「それはわからない、進み続けた者にしかわからない」

と。
誰かの言うなりに落ちた地獄と、自分の選んだ地獄は別だと言うのです。生きるとは苦しみの連続です。
仕事も遊びも恋愛も勉強もスポーツも、みんな苦しみの連続です。
否、苦しみを楽しむことこそが喜びで。
苦しみのない喜びなど存在しないと言いきってもいいと思います。

どうせ地獄。その地獄をどう生きるか。それが問題です。
その地獄に楽しみを見いだすのは自分しかありません。
それを証明しているのは赤子です。子供たちです。かつての私たちです。
生まれ落ちて何も知らない私たちは地獄の中をもがいて、様々な学びを得る事で喜びを見いだしてきました。
ちょっとの事で泣いて。ちょっとの事で笑って。ちょっとづつ成長してきました。
それは地獄の生活を楽しんだ証明です。

しかし、いつしか処世術を身につけ、自分で選択もしない、やりもしない、そのくせ文句だけ言う。そんな大人ばかりになります。
そんな人間を【進撃の巨人】は真っ向から否定しています。
【進撃の巨人】はどうせ地獄であるならば、自分で選択し、自分で戦えと叫びます。
痛々しい程に。

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