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note8 手紙 Ending

 ふと空を見上げると、小さな雲が「なにか」を書いているように、風に揺れて、空に浮かんでいる。白い紙の上を文字が進むのではなく、青い原稿用紙の上を白い文字が進むように、雲が「なにか」を書いている。そんなことを子どもの頃は、いつも考えていた。
 実家のある中山は坂の途中に家が建っているようなところで、かなり遠くまで見渡せた。二階のベランダからは、海が見えた。夜になると、遠くの街の灯りが見えた。灯りはチカチカして、ゆらゆらして、滲んでいた。
 そのチカチカも、ゆらゆらも、「なにか」を書いているようだった。その灯りの下では、いろいろな暮らしがある。そう思うと、なぜか悲しくてたまらなかった。きっと、あのチカチカは、ゆらゆらは、悲しい「なにか」を綴っているのだろう。子どもの頃は、そんなことを考えていた。
 時計が読めるようになるには時間がかかった。時間がかかるということで、時計が気になり、読めるようになった。一日というのは夜が明けて、また夜になるまでの時間のことだと思っていた。時間が過ぎていくことで季節が変わり、半袖が長袖になり、雪が積もり、毛布にくるまり、あたたかく過ごすことを覚えていった。
 時間を理解していく前から、石があった。土があって、草があった。風と仲良くしていた。星を眺めては、月の欠けるのを楽しみにしていた。なにもわかっていなかった。なにも知らなかった。だからこそ、たくさんのことに囲まれていた。そして、それを読むことができた。
 いつからか言葉を話すようになり、言葉を聞くことができるようになった。読むことができるようになった。そして、自分も言葉を持っているのではないか、と考えるようになった。あの雲も、あの灯りも、言葉ではないか。そう思うと、居ても立っても居られなくなり、心をかきむしるように、言葉を探した。だけど、ぼくの言葉はどこにもなく、いつまで経っても、ぼくは書けなかった。そして、星も月も、石も草も、土も風も、わからなくなってしまった。読むことができなくなっていた。
 書けなかったけれど、書くしかなかった。書くってなんだろう。書いたからには、それを誰かに読んでもらわないと。そう思うと、書くということが誰かに届けるために言葉を紡ぐことになっていった。やがて、その誰かがいるということが、書くことではないか、と考えるようになった。その誰かは、その都度違う。違うけど、ずっと同じような気もする。身近な人。だけど、遠い人。大切な人。だけど、どうしても伝えることができない人。
 言葉を書いてみたい。言葉を紡いでみたい。書いた言葉がいつしか作品になっていった。そうなると、どうしても、いろいろ考えるようになってしまう。
 だけど、やっぱりシンプルなことなのかもしれない。自分にとって詩を書くことは、心のどこかを削り、集め、届けること。ここにあるもの。だけど、よくわかっていないもの。どうしようもないもの。

 ただ一日一日を見つめ、生きてきた。いつも立ち止まり、自分を否定し続けるために、人生というのはあるのではないか、と思う。
 空に浮かぶ白い雲が風に流れて、「なにか」を書いている。そこにミルクがいるのがわかる。草があり、水たまりがあり、その先の路地にミルクがいるのがわかる。星をみるのは、ぼくたち人間だけなのかな。月明りだけではなにも見えなくなってしまったけれど、ほんとうはそれくらい小さい灯りでいいのだ。そして、ぼくも小さく生きたい。小さい声で、詩を読んでいたい。


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