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沈黙の世界(3)──はじまりのはじまり。始原の現象

『沈黙の世界』の解説記事、続きです。
哲学者のマックス・ピカートによれば、

沈黙は一つの始原の現象、

であり、

もはやそれ以上なにものにも還元されえない

ものです。

沈黙は、その他の始原的現象、たとえば愛や、真心や、死や、生そのものと同様に、根源的である
そして、それらすべての始原現象のなかには沈黙が宿されているのである。
つまり、愛や真心や死のなかには、それらが愛、真心、死として外部に現れているよりもいっそう多くの沈黙が宿っている

愛や真心の表現も、厳粛なひとの死も、言い表せる以上に、私たちが表現できる以上に、沈黙を宿し、それに支えられているから、深みを持つのです。

また、

一人の人間のなかにもまた、沈黙は、到底その一生のあいだに費(つか)い果たすことができないほど多量に蔵されている。
そのことが人間のあらゆる表現に神秘的な色調をあたえる

だからこそ、

沈黙のなかで、われわれはふたたび太初の発端のまえに立つのだ。

私たちは沈黙し、そのなかに入る時、万事が創造されるための、元初的なるものの前に居合わせるのです。

性欲は、人間がいつなんどきでも用立てることのできる、もう一つの始原の現象である。
そして、沈黙の始原現象が今日では壊滅されてしまっているから、
人間はあまりにも向こう見ずに性欲の始原現象にたよろうとするのだ。

愛や真心といった始原の現象は消えていった、ということでしょうか。こうして、現代の人間は拠りどころを失います。

沈黙は、いわば太古のもののように、現代世界の騒音のなかへとそびえ立っている。
今日のあらゆる騒音も、しばしば、この太古の生物の──ほかならぬ沈黙の──巨大な背のうえにとまっている昆虫の羽音にすぎないように見える

まだまだ、世界は搾取によって喰らいつくされてはいません。沈黙があるかぎり。ピカートはそう考えています。


『沈黙の世界』マックス・ピカート、佐野利勝訳、みすず書房、1964


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