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2021.4.15. パステルナーク祭り(4)晩年へ──ロシアの半世紀を身に染みさせて

ロシアの詩人、パステルナークを紹介する連載です。

まず、パステルナーク40-50代の詩集より。
原文ではつながっていない詩文を拾って抜粋しています。

ミヤマガラスたちの
黒い9点トランプのカードが飛んでいく
疾風は菩提樹をへし曲げてゆさぶり
嵐は根元までへし曲げ
ここにはデカブリストの子孫
ロシアのヒロインたちの曾孫がいて
空気銃(モンテクリスト)でハシボソガラスたちを撃ち
ラテン語をものにした

おそらく暗い曇り空の下、公園か広場で、ロシアの血まみれの歴史を振り返りながら、カラスの黒に不吉を重ねて詠んでいます。

「ミヤマガラス」は最初期の詩にも出てきました。

冬が近づく
冬が近づく ふたたび
どこかの辺鄙な田舎は
気まぐれ空のむらぎしだいで
通行不能な泥濘(でいねい)に消えてしまうだろう
わたしは地方や村の
遠い安住の場 おまえたちが好きなのだ
本は黒ずみ ページがめくられるほどに
その魅力はますます奥が深くなる
重い荷馬車の列を移動させながら
畑のアルファベットを広げて
ロシアは魔法昔話の本

はじめは、冬に雪深いロシアで、田舎道は泥となり通れなくなる、という具体的な話をしています。

そこから「地方や村」が「本」にたとえられ、「畑」は「アルファベット」に祖国「ロシア」は「魔法昔話の本」になります。

これは、一種の共感覚といってもよいのかもしれません。文字「A」が「青」に見えるとか、「ミ」の音を聴くと「黄色」が浮かぶ、といった「共感覚」というものがあります。

そのように、研ぎ澄まされた詩人の感性において、実在の「地方や村」の風景と、自分がふだん親しみきっている「アルファベット」や「本」が重なり合うのでしょう。


さて、最晩年の詩集、遺稿となった「晴れよう時」(1956-59)に移ります。ここでパステルナークの詩は、最初期の炸裂と同様の頂点を再び迎えます。

エピグラフ(引用句)として、プルーストの言葉が掲げられています。

一冊の本はおおきな共同墓地である、
そこでは大部分の墓石の名が風化して
もはや判読できない。
       マルセル・プルースト

意味深ですが、こういうことでしょう。

最晩年に至ったパステルナークにおいて、無数の、情熱に裏打ちされた経験が、もはや一つ一つを整理し、たとえば写真をアルバムに収めるように、綺麗に整えることはできない。それはプルーストにとっての「失われた時」と同様です。

あらゆる経験はもう渾然一体となって、宇宙のような混沌(カオス)を形成し、壮大な言い方をすれば、記憶の銀河を成しています。

それは自分史の「共同墓地」というわけです。

そうして、もはや判別できないすべての記憶が凝縮し、詩と成り、生の銀河を閉じ込めた「一冊の本」ができあがるわけです。

すべてにおいてわたしは至りつきたい
核心そのものまで
作品も 方法の探求も
こころの騒擾(みだれ)も
流れ去つた日々の本質まで
それらの原因まで
基底まで 根まで
芯まで
もろもろの運命や出来事の
絶えずひとすじの糸を掴まへながら
生き 考へ 感じ 愛し
発見を成し遂げたい
わたしは詩のなかにバラの花の呼吸を
ハッカの呼吸を
牧草地 カヤツリグサ 草刈場を
雨と雷鳴のとどろきを齎(もた)らしたい

こうして、パステルナーク最後の挑戦がはじまります。


『パステルナーク全叙情詩集』工藤正廣訳 未知谷




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