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沈黙の世界(2)──無用なもの、聖なる荒野としての沈黙

『沈黙の世界』の著者、マックス・ピカートは、ラジオが流行し、音のあふれ出る20世紀にこの本を書きました。

沈黙は今日では「利用価値なき」唯一の現象である。
沈黙はただ存在しているだけである。
だから、人々はそれを搾取することができないのである。

他方、「天と地とのあいだの空間でさえ」今では飛行機の航行のための「明るい竪抗(たてあな)」になったとピカートは言います。

自然の世界にあるなにもかもが「搾取と掠奪」に合い、破壊的に利用されています。とはいえ、沈黙はそうされずに残されています。

何故なら、沈黙自身が、あの聖なる無用性に他ならないのだから。
なによりも 荒野をいたわれよ
純粋なる法則のうちに
神々しくも形づくられたる。
  (ヘルダーリーン)

こうして、詩人のヘルダーリンを引用してさらに説きます。

沈黙のなかには、あの聖なる荒野がある。
それは、たとえて言えば、一つの星の全軌道が一挙にただ一つの光のなかに集約されているかのようなのだ。──そのように、沈黙においては存在と作用とが一つに融合しているのである。

沈黙の作用は、そのなかにある事物に力を分け与えます。沈黙が背景としてあるからこそ、言葉も、身ぶり手ぶりといったものも、意味を持ちうるのです。

沈黙は、ただ存在のみが価値を有しているところの一つの状態、とりもなおさず神的なる状態を指し示すのである。
沈黙は一つの始原の現象、

その奥にあるのは造物主だけだと、ピカートは言います。

では、「始原の現象」とはなんでしょうか。(3)へ続きます。


『沈黙の世界』マックス・ピカート、佐野利勝訳、みすず書房、1964


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