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ミヒャエル・エンデ『モモ』(8)モモは時間の国でマイスター・ホラと話す

灰色の男たちは、モモをつかまえるために会議を開きました。

鉛色の鞄、帽子、つるつるのはげあたま、小さい葉巻。おしなべて同じ格好の男たちが、形式ばった不毛な話し合いをします。

会議は紛糾しますが、最後にモモの友だちをつかまえる計画が出されます。

「この子が自由意志でわれわれの計画を援助することはないいじょう、われわれは友だちのほうをつかまえておくべきでしょう。」

とくに狙うべきは、ベッポとジジです。

勝ちほこった、かみそりの刃のような笑いが、みんなの口もとにうかんでいます。拍手がおこりました。

一方、モモは、カメに連れられて来た家で、めくるめく大広間にいました。あらゆる時計が数千、鳴っています。チクチク、タクタク。

けれどそこから生まれる音ぜんたいは、ちっともふゆかいな騒音ではなくて、ほら、あの夏の森できこえてくるような、規則ただしい、気もちのよいざわめきなのです。

そこへ、おじいさんの姿をしたマイスター・ホラが現れました。

「ああ、かえってきたんだね、カシオペイア!」

ホラは、カメの名前を呼ぶと、モモを歓迎しました。

「ようこそ!」

そして、ダイアモンドをちりばめた、針のない、光る時計で時間を確認しました。

「おまえはじつにおどろくほど正確に時間に間に合ったね。」
「これは星の時間をあらわす時計だ。」マイスター・ホラは言いました。
「星の時間て、なんなの?」とモモはききました。

ホラは、宇宙にはとくべつな瞬間がある、と答えます。

「それはね、あらゆる物体も生物も、はるか天空のかなたの星々にいたるまで、まったく一回きりしかおこりえないようなやり方で、たがいに働きあうような瞬間のことだ。」

そこからはすばらしい時間が生まれうるが、残念ながら、人間は気づかずに通りすぎてしまうことが多いといいます。

それからホラは、おいしいごはんやなぞなぞで、モモを満たしました。

モモは灰色の男たちについてたずねます。

「あの人たち、いったいどうしてあんなに灰色の顔をしているの?」
「死んだもので、いのちをつないでいるからだよ。おまえも知っているだろう、彼らは人間の時間をぬすんで生きている。しかしこの時間は、ほんとうの持ち主からきりはなされると、文字どおり死んでしまう。」
「人間はひとりひとりがそれぞれじぶんの時間をもっている。そしてこの時間は、ほんとうにじぶんのものであるあいだだけ、生きた時間でいられるのだよ。」
「じゃあ、灰色の男は、人間じゃないの?」
「そう、人間じゃない。にたすがたをしているだけだ。」

そして付け加えました。

「彼らはもうたくさんの人間の手下をつくっている。こまったことだ。」

モモは、「時間て、いったいなんなの?」とききます。が、ホラはモモに考えさせました。

「そうだ、わかった! 一種の音楽なのよ──いつでもひびいているから、人間がとりたてて聞きもしない音楽。でもあたしは、ときどき聞いていたような気がする。とってもしずかな音楽よ。」

モモは、とくに円形劇場の夜を思い返していたのでしょう。すると、マイスター・ホラも時間について教えてくれました。

「人間には時間を感じとるために心というものがある。そして、もしその心が時間を感じとらないようなときには、その時間はないもおなじだ。」
マイスター・ホラはゆっくりとうなずいて、モモを長いことじっと見つめ、それからこうたずねました。

「時間のみなもとを見たいかね?」

モモは「はい。」と答えます。

「つれていってあげよう。だがあそこでは沈黙を守らなくてはいけない。なにもきいてはいけないし、ものを言ってもいけない。それを約束してくれるかね?」
モモはだまってうなずきました。


『モモ』ミヒャエル・エンデ著、大島かおり訳、岩波少年文庫、2005


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