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2021.3.28. 終わりなきさすらいの詩情『マルテの手記』(1)

プラハに生まれ、ドイツ語圏を生き、パリに放浪し、ロシアへ旅したライナー・マリア・リルケ。

代表作『マルテの手記』は小説ですが、パリに暮らしたリルケのエッセイとも読めます。

主人公のマルテは、パリの詩情を日記に綴っていくのですが…

人々は生きるためにこの都会へ集まってくるらしい。しかし、ぼくはむしろ、ここではみんなが死んでゆくとしか思えない。

冒頭の一文です。

病院があふれ、道行く男は倒れ、妊婦はひとりでお産に向かう。子供はヨードホルムの匂いのなかで眠っている、とマルテは観察します。

僕はまずここで見ることから学んでゆくつもりだ。
なんのせいかは知らぬが、すべてのものがぼくの心の底深くに沈んでゆく。

マルテは故国デンマークのウルスゴオル村で死んだデトレフの最期を思い出し、またパリに思いを返します。

僕はものを見ることを学び始めたのだから、まず何か自分の仕事にかからねばならぬと思った。僕は二十八歳だ。それだのに、ぼくの二十八年はほとんど空っぽなのだ。
あすこの海、ここの海。空にきらめく星屑(ほしくず)とともにはかなく消え去った旅寝の夜々。
追憶が僕らの血となり、目となり、表情となり、なまえのわからぬものとなり、

その向こうに詩が成るのだとマルテは考えます。

ときに乞食を見て思案します。

彼らは運命が吐き捨てた「人間」という果実の残皮であり、食べ屑である、と言えばよいのかもしれぬ。

マルテはそれらの感情と溜め込んだ記憶を、ことばにしようとして苦しみます。

僕はすべてを理解し、承認することができるのかもしれない。もう一歩、踏み出すことができれば、僕の深い苦しみは幸福に変わるだろう。

その一歩が踏み出せません。

僕は地底に落ち、もはや起き上がれない。僕は粉々にこわされてしまった。

旅は続きます。パリの街をさすらうリルケ、マルテは、終わりのない答えを灯し続け、詩の完成を見ることなく、その問いを生きるのです。

「人間」とはなにか、この荒廃した世界に薄明かりが差すのだとするならば。


『マルテの手記』リルケ 新潮文庫


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