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2021.3.31. 終わりなきさすらいの詩情『マルテの手記』(4)

『マルテの手記』シリーズも最終回です。

 (1)(3)はこちらです。主人公のマルテがパリを彷徨いながら、追憶に浸ります。

そして、物語は静かに「世間」とのかかわりと「愛」をテーマとした思索に震えていきます。

僕はざっくばらんに書いてしまおう。僕たちは劇場をもっていない、と同時に、もはや神をもっていない。それらを持つためにはぜひ大きな共同の精神的一致が必要なのだ。
僕たちは理解をたえず水で薄めるのだ。どこへでも万遍なくゆきわたることばかり考えているらしい。
僕たちは……人間全体の危機を包む堅い壁に向かって一斉に叫ぶことを忘れてしまったのだ。

また、愛について独白します。

ただ人から愛せられるだけの人間の生活は、くだらぬ生活と言わねばならぬ。
愛する人間にだけ不動な確信と安定があるのだ。
愛する人間の心には清らかな神秘がある。
彼らの前にはもう神があるばかりだ。

マルテはヴェネチアを歩いていました。そこへ、一人の女性がやってきます。

「わたくしは急に、本当に歌ってみたいと思いましたの」と、彼女は僕の頬とすれすれに口を寄せてデンマーク語でささやいた。
「お体裁はいやなの。なにか歌わずにはいられぬから、歌うのです」

その歌は次のようなものでした。

 どうやらおまえだけらしい
たまゆら おまえの面影が見えたと思えば
いつのまにかそれは風のそよぎに変わっている
ああ 胸に抱きよせたすべては一切あとかたもなく消えてしまった
しかし ただおまえの姿だけがいつも心に甦って来る
一度も僕はおまえに手をふれぬものだから 僕はおまえをしっかり持っているのだ

この後、ヴェネチアの話は途絶えます。

そして聖書の「放蕩息子」が、実は愛することに生きた、愛されることを拒絶した人物の物語だと論じて、マルテの手記は終わります。

己の願いが相手の婦人に聞き入れられることをいちばん恐れたというトルバドゥールの詩人たちを思い出して、彼は切ない心に泣いた。

トルバドゥールは、中世南仏の吟遊詩人で、主に宮廷で貴婦人への愛を歌いました。

『マルテの手記』本文はこれで終わりです。

最後に訳者あとがきによると、リルケは孤独と無名の底のうちに、パリで生活し、この小説を書いたそうです。

なぜなら、貧しさは内部から射(さ)すうつくしい光である

と訳者はどこからか引用しています。


『マルテの手記』リルケ 大山定一訳 新潮文庫

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